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天秤座冥王星世代について (1)ユリ科の仲間からナルキッソス(NPD)を解く

冥王星が水瓶座へ移動して少したちましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
わたしは自分の天体のどれかに、なにかしら冥が漬物石のように乗ってずっと生きてきたシーズンがとうとう終わりまして、呆然としながら、しかしわけもなく軽やかな感覚が内から突き上げつつ総括をしている感じでございます。

様々な占星術師さんがそれぞれいろいろアドバイスを発信されていますが、私なりの視点で何か今だからこそ書けることあるかな、と思ったときにこのテーマとなりました。

主に、天秤座冥王星世代向けの記事となりますのでご了承ください。
また、関連するシンボルが多岐にわたるため、分けて投稿します。ぬるりとおつきあいくださいませ。

Photo by Raluca Save on Unsplash

天秤座冥王星世代は、別名氷河期世代。がっつりこの世代のホロスコープは、冥王星が天秤座に位置していた世代とほぼ重なる。わたしもこの世代ど真ん中で、しっかりと時代の洗礼を受け、翻弄された20年だった。

今も、立場的な意味では何も変わっていないので、「翻弄された」と過去形にしていいのだろうかと半分は思うものの、意識としては完全に、何かが切り替わった感覚がある。

この「わたし(含めた天秤座冥王星世代)が、山羊座に冥王星がある間にいったい何と戦っていたのか」ということを丁寧に、わたしの解いてきた世界観の言語を用いて書き綴りたい。

氷河期世代の皆様のうち、何かしら地の要素に恵まれて守られる人生を選べた人もいたはずだ。その人達はあまりぴんとこない話になるかもしれないが、多くの人はなにかしら必ず、企業的な、マッチョ的な社会からの理不尽な暴力を、必ず味わってきたはずだ。パワハラやモラハラなどを当たり前のように味わって生きるしかなかった世代である。

それは、原子爆弾を落とされて、局地的に被曝した地域の人々が、他の地域の人とまったく共感し合えないのに似たような境地かもしれない。
実際山羊座冥王星が滞在している間に、原発事故も起こり、東の地を棄てて西へ移住した方々もたくさんいらっしゃる。

被曝を喩えに出したけれど、冥王星が管轄するテーマとしては似たようなものだ。パワハラやモラハラが常態化した空間で毎日を過ごすということの凄まじさよ。

私もかなりの期間、場所を転々としながら凄まじい環境で働いて生き抜いてきた。場所を変えても繰り返し、同じようなことが起こり続ける。どうしてこんな目に遭うのか、とずっと考えてきた。
しかし、嵐が過ぎ去った今、あらためて、何が起こっていたかを冷静に捉えることができる。

天秤座冥王星というものは、天秤座的な資質を極限まで拡張させた。
これこそが、山羊座冥王星時代に、徹底的に叩き潰されたエネルギーとも言える。

天秤座の世界は、乙女座で確立された個人というものをベースに、集団に流されて生きるのではなく、個人と個人で出会い、かかわっていこうとするサインである。しかし、山羊座冥王星時代は、個を棄てて集団へ帰依することが、身を守る唯一の手段と化していた。集団の長が、青いものを赤いといえば、そこでは赤なのである。風の星座は、対人コミュニケーションは基本円滑だと言われるが、天秤座に関して言えば、無意味な上下関係はほんとうに大嫌いなはずだ。権力者へ媚びへつらえば、もっと生きやすいのは百も承知だが、この世代の人は、冥王星によっておそらくそれが許されない状態にあったはずだ。

NPD(自己愛性人格障害)という困った人達が存在する。いわゆる、モラハラやパワハラをやるようなタイプはほぼ全員これに当てはまると予想される。わたしは程度の差はいろいろあるが、この手の人に少なくとも10人にタゲられた。
「病」ではなく、「障害」にカテゴライズされていることでお気づきだろうが、この障害を持つに至った人は、ちょっとやそっとのことでは治らないのである。そしてこの病を持つ人が社会で激増したのが山羊座冥王星時代であった。

病は力の副作用であり、集団がうまく機能することの副作用が病だと私は常々考えているが、NPDもまた、山羊座冥王星が過剰に促進させた企業的社会の暴走と正比例して、各地で大量に蔓延ったように感じている。
そして、このNPDにつけこまれやすい(ターゲットにされやすい)タイプはまさに、

「誰に対しても一定の敬意を持って生きている」

である。

どんなに理不尽な扱いを受けようとも、自分が上下関係の「上」になることによって、他者を支配し虐げることで勝ち抜き生き残る、ということを選ばない品の良さを、当人が望んでいなくても冥王星が強いてくるわけだ。望んでいなくてもそう星から強いられ、逃げれば人生を妨害される感覚、、それが、天秤座冥王星世代だとわたしは思っている。
そして、冥王星に屈して、しぶしぶながらであっても、この個人としての対等さ、他者への分け隔ての無い敬意を持って社会生活をすると、もれなくNPDに目をつけられるわけである。
NPDにとって、こちらが「敬意」として、ある程度の余裕をもたせている状態を、それはただ「つけこんで良い隙」「つけいっていい弱さ」としか捉えないのである。

NPDは自己愛性人格障害、と呼ばれる。
自己愛が強い人はナルシストと呼ばれ、世間一般に定着しているその定義は、自分大好きで自分に酔っているちょっと困った人、みたいなかわいらしい印象かもしれないが、NPDはそんな生やさしいものではない。凄まじいやり方で、ターゲットの人生を破壊しにかかってくる。その手口は、NPDは全員クラウドにつながっている疑惑があるくらい、後から冷静に振り返って検証すれば、みんな呆れるくらい同じ轍を踏む紋切り型なのが可笑しいが、渦中にいれば笑う余裕なんかないのである。そのやり方が汚い。集団の性質を利用して、集団の鬱憤晴らしのスケープゴートのように、タゲを追い詰めるからだ(そしてそれは、企業や身分が保障された立場の人間にとっても近視眼的な利益があったりするのがまた恐ろしい)。

で、この「自己愛(narcissism)」の語源は、神話に裏打ちされている。その美貌から人気があるにもかかわらず、周囲の人間に冷たくあたる様子にあきれたネメシスという神が、彼を水仙に変えてしまった、という話である。
このネメシスは、ウィキなどでは「ネメシスは神に対する侮辱を罰する」などと解説があるが、厳密には「to distributon」という意味を帯びた名前である。
分配、流通、配分、といった意味のある単語で、ネメシスはその名の通り、エゴイスティックに膠着した状態を解除させようとする神であり、水仙(ナルキッソス)というのはまさに、その象徴となる植物なのだ。
なお、ウィキにおいての「神に対する侮辱」で用いられている「神」はいったい、どういった資質なのか?
おそらく、ここで言われる神とは、造物神というよりも、根源神に近いのかもしれない。造物神であれば、かたちづくること、その美しいかたちに酔いしれることを罰しようとはしないはずだからだ。

水仙は、おおまかに分類すると大蒜やニラや葱、ユリ、ヒガンバナなどと同じ仲間の植物になる。硫黄を強く持つ植物だ。硫黄に関連する植物には、硫黄を製造し貯蔵するタイプと、硫黄を消費するタイプが存在するが、水仙は前者で、硫黄をたくさん含有するタイプになるはずだ。

ドラキュラがにんにくを怖れる理由がまさにこの硫黄に関連があると思われる。硫黄は木星に関係するミネラルであり、かたちを壊して燃焼させる力を持つ。シュタイナーはユリ科の植物のことを「地上性の欠如」といったがまさに、地上(アーリマン的)な在り方が極まった山羊座冥王星時代において、このナルキッソス的なエネルギーは忌み嫌われるわけだ。

だから、ネメシスがナルシスト的な存在に、お前は水仙になれ、と魔法をかけたのかもしれない。

この、ユリ科の仲間の植物は、すべてが食べられるわけではなく、毒があるものも多い。しかし、通底してある種の特性を持っている。それが、この天秤座的な、「力学に屈しないある種のスタンス」と言えるとわたしは気づいた。

力の世界は、好き放題なときに勝手気ままに「カット」し、勝手気ままに「バインド(くっつける)」することがその権力構造にある。
そのため、よく切れる刃物と、よくくっつく糊が必需品となるわけだ。

しかし、力学へ媚びる性質の糊ではないところが、この天秤座管轄となる植物の本質であるところがとてもおもしろい。糊のようで、糊ではないが、確かに、ある種の「バインド力」に関連する。しかしそれは、わかりやすい一般的な「バインド」とはちょっと違うのである。

別の言い方をすれば、外在的な力(群れへの隷従)なのか、内在的な力(個人の自立)なのか、どちらに奉仕するバインドとして機能するか、ということになる。

天秤座は裁判や結婚に関連するサインであり、まさにカット&バインドに関係する。

しかし、だ。
群れへの隷従というナラティブを生きるときの結婚は、その人にとって「くびき」である。個人として自立した存在同士が共に生きようとするときに、そうした外在的な強制力は必要だろうか?結婚という制度の起源は、夢をぶちこわすようで申し訳ないが、バートランド・ラッセルが豪語していた通り、愛を誓うためのものではなく、ただ財産管理に便利という機能性にある。

天秤座に関連するある植物は、その花を家に持ち込むと婚約が破綻するから縁起が悪いとされる。しかし一方で、幽霊を追い払うのに良い花ともされている。このことが示唆することは結婚の効力を維持させるエネルギーと、幽霊のエネルギーが同質であるということなのだよ、、

私が一般的な意味での「当たる占い」を無邪気に仕事にすることから降りたのもまさに、この「バインドの質」について深く考えさせられることになったからである。

長くなるので、次回に続きます。

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