暑い夏至、Modest Mouse、NHL ファイナル
これを書いてる今日は夏至。ぐうぜんタイミングが重なっただけだろうが、数日前からかなり暑い。昨日は気温が33℃、体感温度が45℃だった。北緯46度の当地では記録的で危険な暑さなので、うさぎを冷房のある部屋に隔離したが、移動させられたのが嫌だったようで水の入ったボウルを鼻でひっくり返していた。おいおいご立腹かい、お前さんのためなんだよ。暑くて死んじまうよ。
猫は猫で、よりによって冷蔵庫の横の戸棚のてっぺんに上がったりしていた。このくそ暑い日にわざわざそんないちばん暑くなるとこになぜ行く…椅子に上がって引きずりおろし、おやつで誘ってうさぎと一緒に涼しい部屋に入れてやっても、ドアの隙間から液状になりにゅるんと出てきてしまうのでドアを閉め切った。2時間弱軟禁した後で出してやると、いそいそと暑い居間に向かい床で伸び切っている。毛深いものたちにわたしの親心は分からない、憎まれ役を買って出なくてはならないのだ。
暑さに触発されたのかどうか、昼間の庭で蛍がぶんぶん飛んでいるのを10匹くらい見たが、日中なので何も美しくない。光っていなければただの虫でしかない。在宅ワークをしている離れの網戸がゆるいので、中に入ってくるやつまでいる。光ってなくてもあんたが蛍だと気づいてあげられるわたしでよかったね、他の人だったらつぶされちゃってるよ、と恩着せがましく外に逃してやる。
夜になって恩を売った蛍が光っているのを見たくて庭に出てみた。闇の中の芝生をじっとにらみつけていると、蛍の光の点滅が見えるような気がしてくる。わたしは蛍とか流れ星とかオーロラの類いをじっと待っていると、見たい気持ちのあまりに「それ」が見えてきてしまうので、自分の見ているものが本物なのか幻覚なのかが分からなくなってくる。目を凝らせば凝らすほどさらに分からなくなり、静かな夜中の庭で静かに混乱する。すると庭の向こうの雑木林に一瞬だけ、でもはっきりと黄緑色の光がふっと灯って消えた。ちゃんといるよ、とでも言うように。
2週間ほど前、Modest Mouseのライブを見てきた。
どうしてもModest Mouseでないとダメだと思う時があって、その乾きとか痛みのようなものを感じたら彼らの曲を聴く。いちおうバンドなので「彼ら」というのが整合性はとれている気はするけど、実際のところは中心人物で唯一のオリジナルメンバーのIsaac Brockつまり三人称単数の「彼」という方が正しいかもしれない。彼の他に結成からほぼずっといたドラマーは2年前に亡くなってしまった。
Modest Mouseの音を聴くとあのいたたまれない気分がどうにかなっていくのだが、「癒される」のではない。そういうふんわりやさしい現実逃避みたいなものでなく、看護師が無駄口を聞かずにてきぱきと実務的に傷の手当てをするのに近い。もしくは馴染みのガレージの車の整備士かもしれない。愛想笑いもなく口も悪く荒っぽいけど腕が確かで、他の誰でもなく彼にお願いしたいという信頼感。Isaacはネジを締めオイルを差し凹みや傷を直す。そういうふうに壊れた部分を修理する。そしてなんとかまた走れるようになる。
ファンというほどの忠誠心はないように思うが、Modest Mouseの楽曲に自分はここ数年とても救われてきた。2004年のアルバム「Good News for People Who Love Bad News」は知名度も評価もいちばん高いのだろうし、わたしも「Float On」は昔から知っていた。このアルバム以降の楽曲が、音も厚くなって充実味があり自信と余裕を感じさせる(たぶんそれは年齢と人生経験から来ていると思うし、わたし自身のそれにも近いはず)にもかかわらず、個人的には96年のメジャーデビューから2000年に入ったあたりまでの、あまり音楽的に凝ったことをしないちょっとヘロヘロした初期のModest Mouseが好きで、特段にうまいというのではないけれどぐっと聴かせる何かを感じるし、ああこれは本当にこういう風にしかできないのだろうなという切実で真摯なところに胸を打たれてきた。自分が気が弱っている時に聴くからこそ、あのヨレヨレだけどヤケクソじみた叫びに共鳴してしまい心が揺さぶられるのだと思う。「Dramamine」はいつ聴いても泣く。顔には出ないが心で号泣している。昔の思い出を喚起されているとかじゃなくて現在形の自分でなみなみと洪水しているが、涙になって出ていかずわたしの中であふれ続ける。
ここ数年いろんなアーティストの訃報が続いているので、年上のアーティストの行きたいライブは可能であれば見に行くべきと考えるようになった。そしたらModest MouseがPixiesとCat Powerと北米ツアーをしていて、ラバル(モントリオールの隣町、東京に対する大宮にあたるかな?)に来ると知ったので、これは見に行かねばと思い単身参戦を決めた。去年も同じメンツでツアーをしていたせいか、チケットはすぐに売り切れてしまうような状態ではなさそうだったので、値段が少し下がるかもと思い、すぐに買わずにしばらく様子を見ていた。
それよりもホテルの値段がべらぼうに高くて、会場周辺には三つ星レベルなのに40000円という法外な値段の部屋しかなく、夏休みシーズンでもないのに何故だ?と困惑しながら範囲を広げて調べてもどこも異常に高い。ユースホステルのドミトリーですら12000円とかになっている。個室でもないドミで一万越えはありえん。一体なんなのだ、と思ったが、知り合いの家に泊めてもらうのは会場から遠すぎたり当日不在だったりで無理だったので、仕方なく夏に一般開放されるモントリオール市内の大学寮の個室を18000円で押さえた。いつもの3倍ちかい値段なのは解せないが…結局ライブの1週間前になって、このホテルの値段の高騰はモントリオールF1グランプリの開催によるものだと分かった。ついてなかった。
しかしライブ自体のチケットはかなり安く手に入れることができた。単身参戦なのが幸いして、二階にぽつぽつとひとつだけ残っている座席が2500円まで値段を下げて売られていたのをゲットできた。本当は一階のアリーナ席でできるだけ通路に近い所に座りたかったが、半額まで安くなっているのだから文句は言えまい。
夕方に電車でモントリオールに着き、いったん宿に荷物を置いてから会場に行くことにしたのだが、ずっとGoogle Mapの調子が悪く方向の指示がめちゃくちゃで、天気も悪ければ勘も冴えずに外しまくった挙句、大雨につかまり雨宿りなどしてかなりのタイムロスがあり、ライブの前に食事に行く時間が取れなかった。上演開始ぎりぎりに会場入り。さんざん歩き回った上に水分も取れていなかったので、せめて何か飲もうと一番手のCat Powerがステージに上がる直前に売店でレモネードを買った。1200円もしたのでなにぃぃと思ったがアルコール5%だった。酒だったか…空腹+脱水にアルコールはまずい。しかたないのでたまたまバッグに忍ばせてあった源氏パイをアテに飲む。会場入りの時、セキュリティのお兄さんが源氏パイを見た時に小声で「あっ…」と言ったのが聞こえたが没収されなくてよかった。お腹空いてるとアルコール回るのが早く、ほろ酔いでCat Powerを聴く。
オープニングアクトなので30分と短めだった。包容力のあるあたたかい声が彼女のメランコリックでフォーキーな歌に合う。合うっていうかそもそも分けて考えるまでもないひとつのものか。この人の言葉と声とメロディの一体感はちょっと特別な気がする。それってわたしが英語という言語をどのくらい正しく理解しているかとかそういうのとは違う次元で起こることだと思っていて、音楽には出来てしまうこと、その人の心象風景みたいなものを映写機のように投影する音というのがあって、それが人間の声だとさらにそこに温度とか手応えとか質量みたいなのが加わる。Cat Powerの音楽って繊細なのだけど心強い太さのようなものもあり、それが矛盾せずに奏でられるところが人間だなあと思う。でもね、ちょっと音圧が高めでバンドが強目に出るような曲の時だけ、彼女のボーカルがちょっと違ってオートチューンぽく聞こえたんだよね。気のせいだろうか。わたしは彼女の声の生々しさを好もしく思うので、加工されてしまったのはなんだかもったいなかったが…歌う本人にはなにかしらそうしたい理由があるんだろう。セットリスト。
Modest Mouseのステージを待つ間、空腹だったので食べるものを探しに行ったが、どのフードカウンターにも長い行列ができていた。たいしてうまくもなく高いジャンクフードを食べるために並んで、おちおちライブの始まりを見逃したりしたくない、自分がここに来たのは食べもののためじゃなくてModest Mouseのため、と思い直し、すぐに買える炭酸水とドリトスを買ってそれを夕飯とした。娘がやったら叱りとばす案件。
そしてModest Mouse登場。
わたしは見に行くバンドがどういうセットリストでツアーを回っているか知りたい方の人間なので、数日前から調べていた。毎回少しずつ違う選曲だったので、もしかしたら「Dramamine」と「Float On」のどちらかもしくは両方ともやらないかもしれないと思っていたが、結局どちらもやった。「Dramamine」を生で聴けたのはやっぱりうれしかった。何度も聴いた音源よりも荒っぽかったけど、それでも彼らの1stアルバムの一曲目だからか、いつくしむように演奏している感じはあった。残りの人生もずっとこれを聴いて泣きながら生きようと思った。ありがとう。
ライブで聴いてみて初めて気づいたが「Float On」はModest Mouseのレパートリーの中では毛色の違う楽曲だと思う。一番知られている代表曲なのに、彼ららしいかと言うとそうでもないかも。他の曲に比べると「Float On」は悪い意味でなく意識的なポップさ、明るさを感じる。歌詞もやけっぱちだけどポジティブだし。この曲を演奏し始めた時、周囲の風景が一段明るくなったように錯覚したくらいだ(照明か?)。Modest Mouseって割と似たような曲がいくつかあったりするのだけど、「Float On」の唯一感は確実にあって、この曲を境にしたbeforeとafterもはっきりとしているまさに転機になった曲で、通過地点の目印のようだなと思う。
ヘロヘロと絶叫を行き来するModest Mouseの初期が好きとは言いつつ、ライブでは彼らのバンドの現在形として揺るぎなくソリッドな音を出していて、それはそれで大変によかった。音源としては初期のスタイルをこよなく愛してきたけれど、ライブでは頼もしい安定感がある方がむしろよい。自分の中でそのふたつの捉え方がはっきり分かれているのを自覚できたのは個人的に興味深かった。わたしはライブであぶなっかしい演奏をされるのが好きではないし、わざわざ足を運んでまで見るものにはやっぱりおおおっと圧倒されたい。
Modest Mouseの初期が虚無と感傷と投げやりのない混ぜなのは、当時Isaac Brockが酒やら薬やらで酩酊していたからだろうなとも思っていて、まさにそのフラフラした状態が音に出ているのだろうが、なぜそうせずにいられなかったのかという根源の部分にある空虚さ、ただひたすら長い距離を運転して移動しまくっていた生活の混迷状態、熱いのか醒めてるのかよく分からない温度感、そのせめぎ合いが激しくセンチメンタルに表れているところに心が動かされるのだけど、あるいは彼がそこから脱していなければ今日まで活動を続けてはこられなかったわけで、こうして彼のライブを見ることもできなかっただろう。どれだけのアーティストが(おそらく20代から30代にかけての)その転換というか脱皮ができずに活動をやめていっただろうかと思う。しぶとく生き残るアーティストはステージングもタフになるな、と今回のライブから感じた。Cureのカバー(A Forest)も聴けたし。セットリスト。しかしラブソング的なものがほとんどなくていい。
Modest Mouseを見終わったらかなり満足したし、とても疲れていたのでPixiesはもう見ないで帰ろうかとすら思ったが、まあせっかくだし…くらいの気持ちでとりあえず席に戻った。
そしたら…これはすごい!最初の音を聴いてすぐ分かる、Cat PowerもModest Mouseも吹っ飛ぶようなパンチのある音圧、ンガァァァァ!!!!というものすごくエッジの効いたパワフルにがなるボーカル、すげえ!!さすがトリを務めるだけあって格の違いが歴然としている。あまりPixiesの予習はしてこなかったので曲については有名どころしか知らなかったけど、それでもどの曲も音のアタックが圧倒的にすさまじく有無を言わせぬ説得力があった。Pixiesの前にやった2組が褪せて上書きされそうなほど。あれは機材とかエンジニアの違いはもちろんあるのだろうが、やっぱり長いキャリアと実力は明らかに音に表れている。前知識なしでも、そのすごさだけで20曲以上のステージを最後までがっつりと聴かせていただいた。
残念だったのは「Where Is My Mind?」をラスト1曲前にやって、それが終わったら観客の3割以上がぞろぞろぞろと流れ出して帰り始めたこと…あれはないよな。ひどい、ひどいよ。セットリストをチェックしてたので、わたしも「Where Is My Mind?」をやったら次で終わりというのは知っていたが、あと一曲くらい最後まで聴けよ!と思った。みんなわたしよりPixiesのことよく知ってて好きなんじゃないの?なんで平気でこんなことできるんかね、と悲しい気持ちになった。ボーカルのBlack Francisは来年に還暦を迎えるし、いつまでもライブやってくれないかもしれないんだから、ファンなんだったら一回ごとのライブを最後までしっかり味わってくれよ、と思う。掛け値なしに超一流だった。セットリスト。
観客はわたしより上の世代の男性が多いのではないかと予想していた。確かにそういう客層はメインだったが、男女比もそこまで違わずいろんな年齢の人たちがいて、20代と思われる女の子たちが近くの席でめちゃくちゃ盛り上がっていたのもよかった。
ライブ翌日、家に帰るための電車に乗る駅で、わたしより年上だと思われる杖をついたひとりの女性が、昨日の会場で売っていたModest MouseのツアーTを着て同じ電車を待っていた。それを見て、勇気が出たとか希望が持てたとかいうわざとらしいものでもなく、なにか100%の肯定みたいなものが頭上から降ってきたような、ああ、いいよね、全然あり、という腑に落ちる感じがした。ひとくちにライブと言ってもいろんな種類があるけれど、若くて健康な人のためだけのものじゃなくて、いろんな人が来て安全に楽しめるものもあってほしいし、実際にゆうべのライブがそうだったのだということがうれしかった。だってわたしもいずれ杖つくようになってライブに行きたくなるかもしれないし、それができるということだから。かといってその人に「こんにちは、昨日のライブ良かったよね!」などとフレンドリーに話しかけたりしないのが我ながら卑屈だとは思うのだが、まあそれとこれとは別の話。
最近聴いた今年のリリース。もう半年前のリリースになるがZAZEN BOYSのアルバムがとてもよかった。
相変わらずの向井秀徳の言葉の切れ味。ナンバーガールの時からずっと刹那的なものを描いてきてるけど、情景のキリトリ力がすごいというか、報道写真のような静止画の衝撃がある。年齢を重ねた人間の持つ洞察力も加わった、シンプルでも重い言葉。演奏もレベル高くて、複雑でもぶっといリズムセクション、エッジの鋭いギター、音に生々しい息づかいがあって塊になってぶつかってくる。Zazen BoysはそれこそModest MouseやPixiesと対バンできるよなと心底思う。
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この2枚は今年のエレクトロニックのアルバムでもかなり好き。Skee Maskはリリースの量とそのコンスタントさがすごいのだけど、力の入れ方に多少の差はあれど手を抜いているものがなくて、どうなってんだろう。自分の中のものを音にして出す、という行為がきわめて自然なのだろうな。意識しなくてもスッとできる空手の型みたいなものだろうか。アンビエント的なトラックから、4つ打ちもドラムンベースもあって意欲的だ。Actressは2012年の「R.I.P.」が好きなのだけど、それ以降のリリースは聴いても今ひとつピンとくるものがなかった。今回のアルバムは個人的に「R.I.P.」と同じくらいいいのがやっと出てきた感じ。
このふたりのアーティスト、別に似てはいないけれど、聴いているとなぜかうっすらとした懐かしさが漂うのが共通していて、それがつまり彼らの音に90年代テクノから引き継いでいる何かがあるからなのか、むしろ自分の側の体感なのか、いまひとつよく分からないけれど、ちょっと気の遠くなるような涼しい世界に連れて行かれるのが気持ちいい。
去年の秋からコンスタントに見てきたNHL(北米のプロホッケーリーグ)もファイナルがゲーム6まで進み、フロリダのThe PanthersとエドモントンのThe Oilersが3-3のタイなので月曜の夜にゲーム7が行われることになった。The Panthersは以前からプレイの仕方が好きじゃなくて、The Oilersはカナダのチームでちゃんとカナダ人も多いからめちゃくちゃ全力でひいきしている。先に4回勝ったほうが優勝なのだが、The Oilersがいきなりストレートで3連敗した時はもうだめかと思った、からの3連勝でタイに持ち込んだので、国内は否が応でも盛り上がっている。
ただ、自分はたいていどのチームでもゴールテンダー(キーパー)には尊敬の念を持っていて、The PanthersのBobrovskyはプレイオフに入ってから神がかり的にシュートを止めまくる文字通りの壁だったのが、先週のゲーム4から明らかに何かがおかしくなってしまい、見ていて痛々しいものがある。しかしそれでもリンクに上がりゴールを守ることが彼のプロとしての務めなので仕方ないことではあるのだが、身体的あるいは精神的に正常に機能できなくなってきている1人の人間が、計り知れない重圧を背負って必死になっているのを見るのはこちらもつらい。ゴールテンダーのポジションゆえの孤独というのもあるかもしれない。実際、2021年のプレイオフのCanadiansのゴールテンダーだったPriceにも同じようなことが起こって、それ以来もう彼はリンクに戻ってこなかった。膝の故障を痛み止めでごまかしながらプレイオフを続けた結果、その薬剤への依存症を併発してしまったからだった。ホッケー選手としてキャリアを終えた後も、その痛みと薬との問題を抱えて生きていかなければならない。
NHLのプレイオフは16チーム参加で7戦4勝なので、5月から始まって2ヶ月続くというのが長すぎるのだ。このチーム数を半分に減らしたら、レギュラーシーズンの真剣味が増す上にプレイオフが短くできて効率がよくなるのではないかと思うが。シーズン開幕から半年ですでにプレイオフの前の時点で疲労がたまったり軽度の故障を抱えている選手は、必要な処置や治療を施さないまま、レギュラーシーズン以上の緊張を強いるプレイオフを、高いテンションをキープしながら結果を出していかなければならない。出したら出しただけ、症状は当然悪化していく、その皮肉。
レギュラーシーズンの間、わたしはモントリオールのCanadiansをほぼ毎試合見て応援してきたので、4月にディビジョン最下位で終わった時はさすがにがっかりしたけど、長い目で見ればプレイオフに進まない方が選手生命が長く維持できるように思う。おそらくプレイオフに進んだ選手たちへの報酬は比例して上がるのだろうが、その代わり致命傷や後遺症が残るリスクが高くなるんだったら、弱小チームで息の長いキャリアを積む方がしあわせなのかなとも思ってしまう。
まあいずれにせよ、ゲーム7で全てが終わる。わたしもテレビの前で毎晩のように2〜3時間を溶かすこともなくなるわけだ。少なくとも10月の次のシーズンの開幕までは。