Depeche Mode

Depeche Modeが我が町に来たので見に行ってきた。

もう結論書いちゃうけど、これまで見たライブのベスト5に入るくらいよかった。じゃあ他の4つを具体的に述べよ、って言われるとちょっと言葉につまっちゃうけど、あくまで感覚としてそのくらいよかったと言いたい気持ち。

2月にツアースケジュールが発表になってから実際にチケットを買うまで、いろんな理由からすごくすごく迷った。

まず発売当初のチケットの値段がすごく高かったのだ。たぶん一席150$(1万5000円)くらいだった記憶がある。熱心なファンだったら迷いなく買うんだろうな。でもわたしはそういう意味でのファンではなかった。

Depeche Modeは昔から知ってはいたけど、ちゃんと意識するようになったのは割とここ数年のことで、ニューウェーブとかダークウェーブとかそういう呼ばれ方をする音楽が好きかもしれないと自覚してから、少し聴くようになってはいた。わたしにとってDepeche Modeはすごく大御所感のある人たちで、そのこと自体は何の理由にもならないとは思うのだけど、どうしてだか「新しい発見」として特別な好奇心を持って彼らの音楽を聴こうとはしてこなかった。こういう古株のアーティストはベスト盤が必ずあるからそれ聴いて分かった風になれちゃうような、でもそれってもう完全にわたしの怠慢だというのは分かってるんだけど。
Depeche Modeをちゃんと聴きこむより、あまり知られていないような80年代の音源をまとめたコンピとかを発掘する方に気がいったりしていて、我ながらなんだか情けない。ちゃんと音聴いてんのか我、なんか別のことでいい気になってない?

だからその程度の気持ちでコンサートに行っていいのかなあ、と無意味に迷っていたのだった。ほんとのファンに悪いというか。
メンバーだったAndy Fletcherが去年亡くなり、そのことで「これは今見ておかなければ最後かもしれない」と思ったことも、自分で自分を下世話に感じた。人がひとり亡くなったことで今さら気づいてファン面引っさげてライブ行くの?Andy Fletcher死んでなくても行こうと思ったんか?誰かが死んでからじゃないとその価値を正当に評価できないの?

でもこういう質問って、度が過ぎれば目的を失ったただの悪意、言いがかりでしかない。気持ちを確かめるために自問自答するのはごく自然だと思うけど、自分で自分を行動させないように、必要以上に追いつめてはいないか。赤の他人に対しても同じ質問を同じ口調で問えるのか。そもそもほんとのファンとは何か。誰かからの承認でももらえば、ほんとのファンとして堂々とできるとでもいうのだろうか。批判されたくなくて、誰かに大丈夫だよって言ってもらって代わりに決めてほしいのか。

自らに疑いをふっかけ続けてがんじがらめにするのを止め、少し身を引いて冷静になると、ごく単純にこんなチャンス滅多にないんだから行くべきでしょ、としか思えなかった。このツアーが最後かもしれないという可能性はやっぱり否定はできない。この数年で、ある年代のアーティストが何人もこの世を去っていった。高橋幸宏と坂本龍一ももういない。Depeche Modeも10代から一緒にやってきた盟友を失ってふたりだけになって、そのふたりとも60歳を過ぎて、それでも「次」が当然あるなんて、いったい誰が言えるのだろう。本人たちだってアルバムを「Memento Mori」って名付けるくらいの気持ちでいるのだから。

別の問題として、Depeche Modeのライブがイースターの連休のど真ん中の日曜の夜だというのも引っかかっていた。イースターは日本でいうところの盆暮れ正月にあたるものなので、毎年だんなのおばさんの家に呼ばれて食事をする。そしてだいたい一泊することになるので、今回もそうなるのではないかという懸念があった。ところが不思議なことに今回は何故だかうまく都合がつかず、いつものイースターディナーはお流れになった。これも何かの巡り合わせなんだろう。

よっしゃそれなら、と急いでチケットを買ったのはコンサートの4日前。値段はリセールの2階席で60$(約6000円)まで下がっていた。やっぱり日程のせいで売れ行きがあまりよくなかったのかもしれない。なぜか購入枚数の縛りがあって偶数しか買えず、4席を確保した。だんなは一緒に行くことになったが、娘にもいちおう来るかどうか聞いてみた。たぶん10年後くらいに見ておいてよかったと思うようなライブだよ、と言ったがにべもなく断られたので、久しぶりに会う友人夫婦を誘った。

そういやオープニングアクト誰だろう、と思って調べるとなんとKelly Lee Owensだった。やったー!彼女けっこう好きなのでとてもうれしかった。

当日、会場に着くと2階席はやはりかなり高い位置で、ステージがけっこう遠い。Kelly Lee Owensはセットアップが簡素だと思うので、こんな大きい会場でどんな風に見えるのかなあとちょっと心配になる。照明とか映像とかがあればいいんだけど。そしてその不安は的中してしまう。

ケリィィィィィ

ああ、とても残念。まず照明が暗すぎるし、そのせいか左右のモニターに映し出される彼女の映像もあまりよくなかった。インスピレーションに任せて髪を振り乱し体をくねらせる彼女の姿はとっても奇妙で美しいのに、ほとんど見えていなかった。青のドレスを着ていたけど、それも暗がりの中でかろうじて色が分かる程度。

でも遠いステージ上の米粒のように小さい彼女が、あの凜とした透きとおるような声で歌うと、背筋から後頭部をなめるようにざわざわとした波がぶわっと走って鳥肌がたった。なんだろう、妖精のような天使のような、福音ってこういうものなんじゃないかとすら思う。そこにタイトなビートとピコピコの流麗な電子音が重なる。ううう、やっぱりいい。これ小さい箱で見た方が絶対いい…「On」と「Lucid」をやってくれて目頭がじゅわっとくる。

会場にいたファンはかなり年齢層高めだったので、Kelly Lee Owensのことを知っていた人はどのくらいいたのかなと思う。初めて聞いたという人も少なくなかったんじゃないかな。だからこそもっと彼女の魅力が引き出されるような方法があったらよかったのに。観客の反応はちょっと戸惑ってるような印象を受けた。

それでも自分たちよりずっと若い彼女を北米ツアーのオープニングに呼んだDepeche Modeの人選はいいなと思う。彼女の音が多くの人に聞かれるチャンスを与えたかったんだろうな。Kelly Lee Owensも「これはわたしのおばあちゃん、ジャネットのために作った曲なの!」つってガンガンにテクノやってるのも好感が持てた。わたしもおばあちゃんになったら孫にかっこいい4つ打ちのトラック作ってもらいたい。彼女は最初から最後まですごくいいエネルギーを発している人だった。



そしてそして真打ちのDepeche Modeが登場。彼らのライブの時は照明と映像がちゃんとあって見応えがあった。

ふたりー!!

セットリストはこれ。全体の構成としては、新譜の「Memento Mori」と過去のよく知られた人気の定番を半分ずつやった気がする。違和感なくうまく混ざっていた。新譜、やっぱりどうしても暗いけどとてもよかったし。

しかし、あの声…Dave Gahanという人はなんという声の持ち主なんだろうと思う。艶というか色気というか、なんとも言えない芳香がして聴く人を酔わせるような声。いい声は世界中にごまんとあるけど、この人みたいにかぐわしく匂い立つような声って他にないかも。うっとりするほどものすごくいい匂い、バラとかコニャックみたいな…バラは単にViolatorのジャケの印象かもしれないし、コニャックも飲んだことあったか定かではないけど。

90年代の音源で若かった時のDave Gahanの声を改めて聴いてみると、今よりさすがにハリがある感じはするものの、30年経った現在でも土台は変わらなくて、若干の枯れた質感や深みが加わってむしろ良くなってさえいるような。ライブではさらに荒れた野生味があって本当にかっこよかった。

Dave Gahanは一曲目から両手を広げてタケコプターみたいにくるくる回っていて、なにこれかわいい!と思ってしまった。ほんとにステージの上で自分を解放して楽しんでる感じで、くるくる回り腕を振り下ろしステップを踏み、時にクールなマイクスタンドさばきを見せ、どんな動きも常にエレガントでボーカルが乱れることはなく、遠くから見ていても立ち姿が美しくて華があり心底魅了された。

ロバ好きとしては大興奮だった一枚


それと対照的だったのがギターのMartin Goreで、少年のようなおじいちゃんのような不思議な素朴さがあって、細身で小柄な彼が大きなグレッチのギターを下げているたたずまいは、静かに心が惹きつけられるものを感じた。Dave Gahanに比べると見た目の派手さはなく、気取ったようなパフォーマンスも皆無でこつこつ誠実にギターを弾いていた。Depeche Modeの曲のほとんどを作っている彼が、ステージでも実直な職人のような感じで演奏しているのはむしろ自然なことなのかもしれないが、なんだか謙虚にすら見えて感動した。

Martin Goreはライブの中盤で2曲ボーカルをとったのだけど、Dave Gahanの余裕のある伸びやかさに比べたらどこか必死に見えるくらいのひたむきさで歌っていて、それにも何だか妙に胸を打たれるものがあった。こういう天才肌の人が、このくらいの年齢になってもこんなに一生懸命になるんだ、と思うくらい。うわべのかっこよさとかを超えた真摯でまっすぐな真剣さだった。

歌うMartin Gore、誠心誠意すごくがんばっている

「World in My Eyes」ではAndy Fletcherの写真をバックに演奏していた。彼がいちばん好きだった曲らしい。

Andyの顔の複数のショットをスローで重ねていた

人生の3分の2以上を共に過ごしてきた仲間を失うのってどういう気持ちなんだろう。それぞれに最悪の時期も最高の瞬間もあって(Depeche Modeのこういうエピソードはちょっと調べただけでわんさか出てくる)、距離が近づいたり遠ざかりもしただろうし、それでも一緒にやり続けることをずっと選んできた相手だったわけだ。長年のキャリアにおいて3人の間の役割分担には絶妙のバランスが保たれていたらしいが、それがひとりの死という外的要因で絶たれる。アルバム製作からこのツアーにいたるまで、Depeche Modeがいつも3人でやっていたことをふたりだけでやっている。Martin Goreも何かのインタビューで言っていたように、すでに決まっていたレコーディングを予定通り進めることでAndy Fletcherが亡くなった直後のいちばんきつい時期を乗り越えられたようだけれど、近しい誰かの死に対する「喪」の時間ってきっとすごく長くていくつもの段階がある。それを、残されたふたりはどんな風に感じながら過ごしてゆくのだろう。

ライブそのものはそんな感傷や虚無を感じさせないくらい、最後までタフでハイボルテージだった。さすがにベテランだけあって体得した経験値がぜんぜん違う。本編のラストに「Enjoy the Silence」とアンコールのラストに「Personal Jesus」をきっちりかましてきて客席はお祭り騒ぎだった。毎回やってる本人たちは飽きないかな、いや飽きないだろうな。こんないい曲、毎回やるたびに絶対気持ちいいだろうな。オーディエンスのリアクションだってめちゃくちゃいいし。

ライブが終わった後のあの爽快感ってなんだろう。アーティストに対する深い感謝の気持ちと、その場に居合わせて最後まで見届けたことの満足感はやはり特別なものだなと思う。決断するまで時間がかかったけれど、見に行って本当によかった。

ライブ会場に足を運ぶのは、おおげさに言えば生きている現在進行形の時間の共有だよな、と思う。その空間まるごとを震わせる何かを、耳だけでなく肌で肉で骨で受け止めに行く行為だ。会いたいなら、生きて会えるうちに会いに行ったほうがいい。誰に何を言われようとも、そこで感じたことはまぎれもなく自分だけのものだ。

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