ひりひりする歌
たまにやりきれない気持ちになることがある。理由があっての気持ちなら説明がつくのだけど、本当にわけもなくとしか言いようのない、あのあてどないやるせなさは一体なんなんだろう。
悲しい歌を聴いて泣く(それも気持ちよく)、みたいなのは若い頃に何度かやった気もするけど、もう今はそんなスッキリできる術も持たないので、やりきれなくなるとドライブしながら爆音でひりひりする歌を聴く。だいたいこれ。Modest Mouse の"Dramamine"。
このビデオ、いわゆるファンビデオというやつなんだろうけど、これ以上にこの曲のやるせない虚しさを映像化できているものはないような気がする。
この曲のギターのフレーズにはいつ聴いても静かに胸を打たれる。悲しい悲しいとわめきちらすのでなく、ほんとうに、ポツン、と、ひっそりとした何かが内包されていて、激しくなく穏やかに淡々と奏でられる。とても美しいと感じる。しんみりとしていて、乾いている。
その後にこれを聴いたら、またよかった。
ミュートビートの音はすごくソリッドだと思う。強いというのとはまた違う感じなんだけど、やっている人たちが見ている境地が同じなのかもしれない。その確かさが音の中にあって、とてもシンプルに伝わる。この曲も、夕陽が沈むのを見ながらもの寂しくなるような気持ちになる。
こだま和文のトランペットを生で聞いたことがあった(ミュートビートではなかった)が、空間をまっすぐに貫くような音だった。鋭いとか圧があるとかでなく、あくまで力みのない音が、ほんとうにくっきりまっすぐ自分の元に届けられ、そういう音を聞いたことがなかったので、強く印象に残った。
いろんなことを感じるたちではあるが、感情表現はあまり得意ではない。だから、悲しいと思うことを行動に表せなかったりする(泣くとか思いの丈を語るとか)。そうすると、ひりひりした痛みが自分の中に積もるので、迎え酒のように、ひりひりする歌を求めてしまうのかもしれない。
ひりひりした痛みを感じながらひりひりする歌を聴くことで、自分の中と外の折り合いがつくのだろうか。痛みは変わらずそこにあるんだけど、曲が終わる頃には家に帰りついて、不思議に少し救われた気持ちになり、かすかなふんぎりをつけながらエンジンを止め、車のドアを開ける。
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