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日記

9/16(水)
鶏チャーシューとエビマヨをつくった。
鶏チャーシューは耐熱容器に醤油とみりんを100mlずついれて、鶏胸肉一枚を入れてラップした500Wで5分電子レンジにかける。終わったら取り出して、鶏胸肉を裏返してもう5分電子レンジにかける。
エビマヨはにんにくチューブとケチャップとマヨネーズ を混ぜてソースをつくる。むきえびは洗ってペーパータオルで水気を取る。この、「軽く水気を取る」というのがどういうのかよくわからなくてめっちゃ拭いてしまうのだけど、たぶんびちょびちょじゃなければ適当でよいんだろうな。水気をとったえびには小麦粉をまぶして、ごま油で炒める。えびが赤くなったら皿に盛り付けてつくったソースをかける。

チャーシューはそのままじゃなくてマヨネーズ やら塩胡椒やらなにかしらやりようがあった気がするけどうまかったのでよしとする。エビマヨはとてもよかった。
『歌壇』10月号の歌壇時評で寺井龍哉が『ビギナーズラック』について書いてくれているらしいので読まなきゃなと思う。東京に行くたびに寺井くんとは会っていたから、もう長らく会っていないような気がする。寺井くんは92年生まれ、僕は93年早生まれで同学年なのだが、大学時代は僕の方が一学年上だったので、寺井くんは僕のことを「阿波野さん」と呼ぶ。不思議なねじれだ。
寺井くんとは大学短歌会の付き合いで仲良くなったけど、はじめて会ったのは僕が大学院に入ってからだったと思う。彼はあんまり短歌会関連の合宿などのイベントに出てくるタイプじゃなかったのでぜんぜん会う機会がなかった。東大の本郷短歌会では彼と同じ学年のひとが何人かいて、そちらとは会ったことがあったから、なぜか寺井くんは僕の短歌会関連の交流の中では遅咲きのイメージがある。(交流に早咲きも遅咲きもないのだけど。)

9/17(木)
夕飯に堂園さんに教えてもらったカレーにチャレンジしようと思い立ち、材料を買い揃えた。僕は手際が悪く、かつ料理初心者なので、妻がお手本として作ってくれた。仕事で疲れていただろうに申し訳なくおもいつつ、カレーはめちゃくちゃ美味しかった。

9/18(金)
仕事のあと、職場最寄りの駅前の本屋で『歌壇』と『Sketchy』の新刊を買う。ここに短歌総合誌がわりかし置いてあるということは以前チェックしたから知っている。地方都市で短歌をやるということは、短歌の本を直接入手がしづらいということでもある。この本屋が潰れないようにしたい。しかし残念なことに、その本屋が入っている商業ビルは19時に閉まるので、なかなかどっぷりと居られるチャンスがなかったりする。
夜、職場の友人と先輩と飲みに行く。3人ともわりと家が近いのと、一時期同じプロジェクトをやっていたつながりがある。先輩は春ごろに娘さんが生まれて、焼き鳥屋は半年ぶりだから緊張する、と言っていた。

上記のツイートの会話のあと、先輩は短歌に関してかなり鋭いことを言っていたのだけれど詳細は忘れた。たしか、「主観と客観と時間がポイントなのでは」とか、「簡単そうに見えるけどそこにもいろんなコンテクストがあるんやろ?」と言っていたのは覚えている。途中けっこう難しい話になって、友人が「コンテクストとかわからん!話にまぜて!」とすねていた。
帰り道、ひとりになって、すき家でチーズ牛丼を食べてから、妻に電話をした。ここからの記憶はない。

9/19(土)
明け方、僕のいびきがひどくて妻に起こされる。ほんとうに申し訳なくてかなしい。今日のミッションはカレーをつくることと、この日記を書くことと、できればもうすぐ締め切りの原稿を書くこと。昼ごはんは残っていたそうめんを茹でててきとうに食べた。今までの人生のなかで、こういう「家にそのときあるものでなんとかする」みたいな食事をしてこなかったから、なんか新鮮な感じがした。僕の生活が前に転がりはじめているような感覚が確かにある。
昨日買った『歌壇』。寺井龍哉時評の主客の話を読む。なるほどと思った。岡井隆の〈灰黄の枝をひろぐる林見ゆ滅びんとする愛恋ひとつ〉について斉藤斎藤さんが拙著の解説で書いていることと、「ねむらない樹」vol.5の座談会で述べていることを比較してみたときに見えるもの。寺井さんの書き振りが信頼できるのは、斉藤さんに対して性急に「これは矛盾しているのではないか」と突きつけるような書き方をしてないところにある。これをあのひとが書いてたら突きつけるような書き方をしてそうだなあ。とかおもった。

遠くにあるたのしいことの気配だけ押し寄せてきてねむれない夜
新宿で全員下りていなくなる 急に大きくなっている床
/永井祐「コース」(『歌壇』2020.10)

さいきんの永井さんの歌はコントロールのとてもよいピッチャーの投球のようである。と言ってみたけど、短歌を野球に例えることにあまり意味を見出せなかったので言い直すと、さいきんの永井さんの歌はコントロールがとてもよい。昔からよかったんだとおもうけど、制球力……ちがう、制短歌力が前よりもあがっているような印象というか、投げたいところに投げてる……じゃなくて、書きたいことを書ききっている?というようなことを思った。野球の磁場を持ち込んでしまうと引っ張られる。

袖が4本あるセーターを笑うけど拳は多いほうがいいから
/佐伯紺「ざまあみろって言ってみたかった」(『歌壇』2020.10)

カイリキーかよってつっこみたくなったけど、この歌はとてもキュート。佐伯さんの新作ひさしぶりに見た気がするけど、羽根と根が新刊を出してないことも原因のひとつなので、そろそろ重い腰をあげなくちゃな、とおもう。

わたしたちの非常事態宣言は・れ・れ・る・るる・るれ・れよ・へる・れ・れ・れる・れる・れれ・れろ・へる
/平岡直子「わたしたちの非常事態宣言はバンクシー展に素顔でまぎれ込むこと」(『歌壇』2020.10)

助動詞の活用の中に「へる」=Hellが混ざっている短歌、なのだとおもう。「受け身・尊敬・可能・自発」という助動詞「る」や「れる」の意味が「非常事態宣言」となんとなく親和性がある。とくに「受け身」と「自発」。そこにある種の地獄があるということだろう。結構ぐっときた。

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