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日記

9/13(日)
遠野遥『破局』を読んだ。小説を書きたくなったけど、そんな元気はないので日記を書いた。
散文はふだん書かないからいつも書こうと思ったときには書き方がわからなくなっている。書いてるうちに、ああ、こんな感じね、と思うんだけどそう思えたころにはあんまり書くことや時間がないってことがままある。昼間に、本町駅のtoi booksへ行った。くどうれいんさんがリモート在廊していて、10分ほど喋った。画面の奥にぬいぐるみらしきものが置いてあったような気がするが、どんな造形だったか思い出せない。海洋生物だったかもしれない。
晩ご飯に「酒蒸し法」で鶏の酒蒸しをつくった。もも肉に塩をまぶして数分置き、皮目からフライパンに置いて肉の6分目くらいの高さまでパックの純米酒を注いで中火で煮込む。酒の水分が飛んだら完成。楽だしおいしかった。煮汁がけっこうおいしかったから、最後にうまく整えてやればソースになるのだとおもう。料理には最近興味を抱いていて、いろいろなものを作ってみたいなという意欲に満ち溢れている。簡単でおいしく、お酒に合うものをつくりたい。

寝る前に田島列島『水は海に向かって流れる』の最終巻を読んだ。すばらしい漫画だった。

9/14(月)
製品設計をしているときに、「こうしたらユーザーはどう思うだろう」などのことを考えさせられることがあるが、おもうにこの問いの立て方は茫漠としすぎてて、正直よくわからない、以外の答えにならない。
下流の工程のあの人はなんて言うだろうな、とか、こういう条件のユーザーはこういうことを気にするのかな、とか、もう少し対象を絞らないと考えが明確にならない。なんか、ビジネスの基礎の基礎みたいな話なんだろうから書いていて恥ずかしくなる。

短歌を書いているときの自分は、自分自身が楽しく読める短歌を作れたらそれでいいやとわりと思っていて、その一方で、他の人に自分の作品を読んでもらいたいという気持ちもあるんだけど、別にそのふたつは自分の中で共存しうるのではないかと最近おもうようになってきた。読まれたらいいし、読まれなくてもいい。読んでほしいけど読んでほしすぎない。歌集を出すにあたって、もっとセルフプロデュース的なふるまいをしようと思ってたんだけど、だるくなってしまったのだ。
短歌は僕にとって「短歌」でしかないが、あえてくくりを与えるなら「専門的な趣味」とか「ライフワーク」という呼び方にいまのところはなる。便宜上歌人を名乗ることはあっても自らを「プロの歌人」だと思ったことはない。なんというか、虚飾で自らを持ち上げたくないんだとおもう。謙虚に、誠実にやっていきたい。でも僕はわがままなので、時には「僕は短歌がうまいなあ」みたいなことを言ってしまうんだけど、そうでもせんとやってられんことがままある。

自分の思ってることを書こうとすると、書いているうちに言葉の輪郭がぼやけて、ちがうなとおもって消して書き直す、みたいなことを何度も繰り返してしまうので時間がかかるのがわかった。もっと日記は即物的でないといけない。明日からはざっくりと書く。

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