Twitter依存症が治った話
noteでは私の結婚生活について書こうと思っていましたがさっそく少し脱線してもいいですか。
私はごく普通のアラサー主婦です。1990年代後半が同世代だと思います。
中学生の頃、携帯電話を初めて親に買ってもらいました。当時は、通称「ホムペ」と呼ばれるホームページを自分たちでアレンジし、仲のいい友達とサイトを作るのが流行っていました。思えばこれが私にとって一番初めの情報発信です。
小学生の頃は、メモ帳に手紙を書いたり、交換日誌をしたりしていたので、今のアラサー同年代は情報発信の移り変わりの両方をリアルタイムで体験している年代だと思います。
話は戻りまして、中学時代の携帯電話の使い道は、主にメール。メールといっても今ほどサクサク送れるわけではなく、「送信中」や「受信中」の画面をドキドキしながら見ていました。
「ホムペ」では、日記やつぶやきページがあり、更新していました。SNSのない時代、自分達が作ったページなんて何の拡散力もなく、友達同士でお互いのページにリンクを貼り合って、友達の友達の友達の友達の友達、、、と繋がりがじわじわと拡がっていく感覚です。
「誰でも見れる」という感覚とは程遠い情報リテラシーの中、「誰でも見れるけれど拡散されにくい」という当時の仕組みが守ってくれていたように思います。
高校時代には、ホムペのブームは過ぎ去り、ミクシィやモバゲが流行り始めました。携帯小説もこの頃です。この頃、iPhoneを持っている人が増え始めた記憶があります。
大学生になり、LINEを始めました。FacebookもTwitterも大学生になり、周りがしていたから、理由もなく当たり前にアカウントを作成しました。その後、Facebookの衰退に比例してちょっとオシャレな投稿が必要なInstagramが勢力を持ってきたという印象です。
社会人になり、YouTubeやTikTokが流行っていくのですが、動画コンテンツは自分が投稿するにはハードルが高く離脱していきました。Facebookを更新する人が減り、Twitterを更新する人が減り、Instagramには結婚しました報告や赤ちゃんの投稿が増えていきました。
そして今、久々に始めたSNSがnoteです。
ざっと私の中のSNSの歴史はこんな感じ。
これらのSNSの中でも私が特に好きなのがTwitterです。
様々なSNSの中で一番始めるハードルが低く、投稿のハードルも低い、けれど拡散力があるTwitter。
匿名で簡単に新しいアカウントができてしまうこともあり、人口よりもアカウントの方が多いのでは?と思うことも。
他のSNSとは違い、見栄をはる必要はなく、ストレスの捌け口として使っている人もたくさんいますよね。
Twitterで見られる全く知らない人のリアルなタイムラインはどんなフィクションよりも面白く興味深いものです。
そんな私が最近疲れてタイムラインを見る回数が少なくなりました。
原因はTwitterのアリゴリズムによるものです。
芸能人の不倫報道をフォローしているニュースの投稿で見つけました。それをクリック。そのニュースに連なるコメントを何気なく見る。
「サレ」がついている方のプロフィールを興味本位で見てしまったのです。
そこには不倫をサレた人のとてもリアルな心情が呟かれていました。きっと、周りに相談できず、吐き出したい気持ちがあるのでしょう。呟く内容は自由です。
これは見る側がコントロールしなければならないのです。
しかし、その日から、私のTwitterのタイムラインは不倫だらけになってしまいました。。
新婚の私にとっては教訓であり、恐怖である内容が次から次へと流れてきます。まさかこんなことで自分がTwitterから離れていくとは思いもしませんでした。
私には、白血病で亡くなった身内がいるのですが、同じく白血病と現在も闘っている方々の呟きもよく見かけます。きっと私が無意識に見てしまっているのだと思います。見ては応援し、見ては思い出して落ち込むを繰り返してしまいます。
大切な人が亡くなった時、自分が世界一不幸だと思った時、Twitterには同じ心情の人の呟きがあり、助けられました。
Twitterのアカウントは消すつもりはないですし、今も呟くことはあります。けれど依存症という程、常にタイムラインを見ることはなくなりました。
noteともうまく付き合っていきたいです。
毎日更新できないことに落ち込まず
いいねの数を気にせず、自分のために書いていきます。
それでは、また。
♡で運試し(✷‿✷)<(凶もあるよ)