なんでだろう?を大切に

子どもの頃を思い出してみてください。

これなに?あれなに?なんで?どうして?いつ?まだ?

5W1Hを連発していました(笑)

大人たちがビジネス書で語るまでもなく、言葉を発しはじめたくらいの子どもたちは、みな、5W1Wを用いてこの世界のことを知り、ことばを知っていきます。

すこし難しい説明ですが、ことばによって、物事や事象、現象が「意味づけ」をします。これは、こう、あれは、ああいう風に。解釈し、わかろうとする、頭で思い描く、イメージし、それが一体何であるかを理解する。

子どもの「なぜなに攻撃」は、単なる好奇心だけではなく、世界を意味づけしていくための活動です。逆にそこからこぼれ落ちるもの、意味づけられないもの、教えてくれないものは、理解不能な何かとして記憶されます。

突然ですが、人はよく争いになります。

争いとは、たとえば、出世レースであり、受験戦争であり、よりよい生活、快適な生活や安心安全を求めます。努力して、周りの人を追い抜いて、それらを手に入れようとします。

この現実は、戦後長い間、資本主義の原則、能力主義社会の大前提として、君臨してきました。いまも誰もこれを否定しようとしません。

いや、否定している人も多いのです。しかし、実際にそれを体現できていない。能力主義ではない何かを見いだそうとした試みとして、ゆとり教育がありました。しかし、手詰まりとなり、結局、元の方向へ。

社会のひずみとして、相変わらず、数万人の自殺者。しかも最近では、青少年の自殺が増えつつあります。

企業や組織にいると、この「なんでだろう?」は、「売上や利益が上がらないのはなんでだろう?」「経費を削減できないのはなんでだろう?」それ以上の質問は、すべて却下です。企業が生きるためには、利益を上げて、費用を抑えて、永続的に社会活動を続けることが、企業の存在意義だからです。

ある程度、それを受け入れ、諦めて週5日を約8時間働き、残りを余暇やレジャーで過ごす。いつもの平和な日常でした。

決して悪いシステムではありませんでした。過剰な生産や消費なく、地球環境を守りながら、世界中の人が、毎年少しずつ豊かになるのであれば。

現実は、そうではなかった。

格差は広がり、先進国では自殺者が多く、肥満による成人病が増える一方で、発展途上国では餓死する子どもたちがいる。

SDGsを主張して行動を呼びかけるまでもなく、数十年前から指摘されていました。にも関わらず、私たちはあり方を変えなかった。このような歪みを抱えたまま世界は動いてきました。

話がそれましたが、まずは「なんでだろう?」と疑問をもつこと。これだけでも、周囲への価値観、世界の認識の仕方を変えられるはずです。

誰のためでもありません。自分自身が、自分の人生を全うし、ふさわしい姿、あるべき姿を取り戻すことが、あるべき未来を創り出すのです。

世界は、ヒーローが変えてくれるのではありません。この文章を読んでいるあなたから世界が変わり始めます。

孤独です。一人です。さみしいし、誰からも評価されないかもしれない。

それでも、続けていくことで、たどり着くべき、自分の本源に至ります。

ともに、険しい道を歩んでくれることを、勝手に期待しています。




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