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Amazing Grace

私はもしかしたら、
神の恩寵の中にいるのかもしれない。


自己憎悪、罪悪感、悲しみ、無価値感しか出てこなくて、
私にはもう間違っていることを望むことしかない、
それしかできない。

私は自分が憎い、
私は無価値だ、
私は罪深いものだ、
私は神から愛されていない、見捨てられた、
私は正しいと言い張ってきた。

でも、もう私が間違っていたほうがいい。

間違っていたいと言うしか、
私にはできることがない。

祈り続けていた。


ある日、ファンクションで失敗をしたサインから、
兄弟から、自我に力を与えていることを伝えられ、

私何やってるんだ私は、、
本当に、もうだめかもしれない、、、と感じていた。


すると、
私があなたを選びました。
あなたならできます、と兄弟を通じてイエスの言葉が耳に入ってきた。


その言葉とは真反対の、
惨めさや自分に全く力はない感覚にまみれていて、
とても信じられなかったけど、

自分の願望をもう一度思い出すチャンスを与えられた。


兄弟にも自分にも罪がないということを教えてほしい、
という願望があったのに、

それと真逆の、

罪はあり得るんだよ!
私は罪深いんです!
私は見捨てられています、という

自我に信じる力を与えていた、
ということに気づいた。


聖霊は、宇宙以前から、
罪はないんです、、と言っている。
そうだった。。


そう言っている聖霊が正しい、
私が間違っていた、
間違っているんだ。

私が間違っていれば、ありがたい、
幸せだ。。


それだけを、
何度も自分に繰り返し思い出させ始めた。



闇が出続けても、
間違っていたいと望みつづけて1ヶ月間を過ぎたあたりで、

霧が晴れたような感じがあって、
本当にそうだな、、と思い始めた。


私がやります、
私に任せなさい、
とイエスに言われている感じがしてきた。



江ノ島水族館やテラスモールに行って、
主に被写体になる撮影ファンクションがあった。

今までの人生では、絶対にありえないファンクションだ。


その日も、
間違っていることを見せてください、と祈っていた。


私に任せなさい、
というイエスの声から始まったその日の終わりは、
いつもよりもエクスパンションで引き上げられていて、

その日の終わりに、
二人で食事の準備をしていた時、

兄弟がイエスで、
つながって一つな感じがしていて、幸せだった。



「私が間違っていれば得をするって、
本当なんだ。。!」



初めて、
心の奥から、そう感じた。



同じ目的の仲間がいて、
環境があって、養われていて、
私の想像ではありえないファンクションを通じて、
兄弟と四六時中関わり続けることで、

闇があがろうがあがるまいが、

間違っていたい、
私がただしくなければ得をする、

そう思える瞬間が一瞬でもあるって、
本当に奇跡だと思う。


私が間違っていた。
私が間違っていたい。
聖霊、あなたが正しいです。


闇が上がっても、
これだけを望み、決断をするために、
全てが整われ、養われて、与えられているんだ。


私はとんでもない恩寵の中にいるのかもしれない。。



今日(2/21)も
別のロケーションで撮影ファンクションに兄弟と行ってきます。


私は愛されていない、
神に見捨てられた、

そう言い張ってきた私が、
今日も間違っていたい。


私が間違っていて、
自己憎悪や分離していることが本当じゃなかったら、ありがたい。。


私が間違っていた、、
私が間違っていることを見せてください。


今や、あなたは転換点に達したことになる。なぜなら、自分の決めたことが正しくなければ自分は得をする、という考えが浮かんだからである。この地点に到達するまでは、あなたは自分の幸せとは「自分が正しい」ことの上に成り立つと信じ続ける。しかし、今ではあなたは、自分が間違っていたほうが自分に有利だとわかるだけの理性を獲得したのである。

奇跡講座 T-30. I. 10:1-3


自分に対して為されることを前にして自分は無力であると、これ以上自分を偽ることはやめなさい。自分は間違っていただけだと認めなさい。そうすれば、あなたの間違いの結果はすべて消え去るだろう。

奇跡講座 T-21. II. 2:6-8










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