サントエルマの森の魔法使い #4ファーマムーアの墳墓
第4話 ファーマムーアの墳墓
いくつかの秘密の通路を越えて、長い長い階段を、ポーリンとアシェラムは降りていった。
左右には、剣を構えた巨大な兵士の彫刻が何十体も整然と並んでいた。石段を踏む彼らの足音と、衣服の布ずれの音が静寂の空間に吸い込まれていく。
兵士たちの表情には生々しい険しさがあり、生者たちの立てる物音を値踏みしているかのようだった。
ポーリンはそんな一体の彫像の顔を見上げた。
「見事な彫像ですね、強い魔法が込められている」
「“生きている石像”です。この回廊を守護しています」
「なるほど・・・」
ポーリンは生唾を飲み込んだ。魔法の力で動く彫像自体は、サントエルマの森にいる者として、珍しく感じるものではないが、問題はこの物々しさだった。
しばらくして、背の高い円筒状の空間の、底の部分に出た。
円筒状の空間の壁際には、やはり儀仗兵のように“生きている石像”が並んでいた。そして、正面には、複雑な古代の幾何学模様が描かれた巨大な石扉があった。
アシェラムは、彼の背の何倍もありそうな石扉の前へ来ると、ポーリンの方を向いてうやうやしくお辞儀をした。
「ようこそ、<ファーマムーアの墳墓>へ」
サントエルマの森で、数々の驚異を目にしてきたはずの彼女であったが、ここの独特の雰囲気はまた格別だった。無機的で、古めかしく、けれども機能美に溢れた空間。普段は静寂と平穏に包まれているが、ひとたび礼を欠けば死者たちの怒りを招く、まさに“墳墓”・・・。
夜の刻を告げる鐘の音が、円筒状の空間に響き渡り、ポーリンはびくっとした。地下にいるはずなのに、鐘の音が強く聞こえた。どうやら壁面に反響しているようだ。
「マーグリスの街の鐘は、街を取り巻くように八つ存在しています」
アシェラムが物静かに口を開いた。
「この大博物館は、八つの鐘の塔のちょうど真ん中に位置し、鐘の音が集まります。八方から収束した鐘の音は、壁を反響しながらここへ伝わるように計算されています」
淡々とした彼の説明は、ポーリンの胸にある確信をもたらした。
邪悪を払う聖なる力を持つと言われる鐘の音。街を取り巻くように鐘の塔が設置されているのは、外の魔物を街に寄せ付けないための仕組みであるが、それ以上に、「この場所」の邪悪を払うためのものなのだ。
それは、今から彼女が向き合わなければならないもの。
アシェラムが不思議な呪文を唱え、古代の幾何学模様が刻まれた巨大な石扉が開いた。
湿り気のある冷たい空気が流れてきて、ポーリンの鼻腔を撫でた。奥には、今いる空間よりも一回り小さな円形の部屋があった。
「この場所へ挑戦する者は少なく、何かを得て帰って来る者はさらに少ないです。ラザラ・ポーリン、あなたの持っている鍵を使って、ひとつの扉を選びなさい」
アシェラムは重々しく言った。
「案内ありがとうございました、副館長さま」
緊張のせいか、武者震いか、あるいは不吉な霊気を感じ取ってのものなのか、ポーリンはわずかに身震いしながら、それを振り払うように言った。
「ときに、ひとつお尋ねしたいです。サントエルマの森の魔法使いで、この試練に挑戦した者をご存じないですか?」
「さて?」
アシェラムは首を捻った。
「残念ながら、ここの管轄になって私はまだ三年です。それ以前のことは分かりませんが、少なくとも私の時代には知りませんね」
「そうですか・・・」
肩を落としながら、ポーリンは自分でも思いも寄らないほどに失望していた。
父が、影の魔法を探索してここへ来たことは間違いないだろうけれど、その後の消息が分かるかも知れないと期待していたようだ―――――無意識のうちに。
だが、知らない方が良いのかもしれない。父は、ここで命を落とした可能性さえあるのだから。そしていま、その過酷な試練に挑むのは、彼女だ。過去に心をつなぎ止められ、いまに力を発揮できないようなことは避けなければならない。
彼女は唇を噛みしめると、鳶色の瞳に火をたいて眼前の小部屋へ歩をすすめた。
背後で大扉が閉じ、お辞儀をして見送るアシェラムの姿を閉め出した。
湿った空気の静寂の空間に、ただ一人となったポーリンは、永続する光の魔法がかけられたランタンによって、明るく照らし出された室内を見回した。
彼女が入ってきた扉以外に、古代ルーン文字で1番から11番まで刻まれた扉がぐるりと取り囲んでいた。
彼女は背負い袋から、父が残したノートを取り出した。ここまでの冒険において、父のノートは大いに役にたった。
狂気にとらわれた邪悪な大魔法使いファーマムーアの研究、その最後のページを開く――――「禁呪・“影の魔法”の封印されし場所 第四の墳墓」
ポーリンは黄金色の鍵を四番目の扉に差した。
呼吸さえすり潰してしまいそうな重々しい音を立てて、古めかしい石扉が開く。感じたことのないような冷気が流れ出てきて、彼女は血が凍る思いをした。
この冷気は、身体を冷やすものではなく、魂を凍えさせるものだ。鳶色の瞳にたいた火も消えた。
―――帰りたい。
これまでの決意が一瞬で塵となり、数瞬前には思いもよらなかった気持ちが彼女を飲み込んだ。
帰る、どこへ?
サントエルマの森を出て既に半年、もはやあの場所に彼女の席はないだろう。息の詰まる母の家に帰るか、あるいは誰も知らぬ街へ移り住み、人知れず暮らしていくか・・・
そう考えたとき、寒さゆえか怯えゆえか震えていた彼女の魂に、再び炎が灯った。
―――――負けてなるものですか、こんなところで。
危機に追い込まれたとき、何度も彼女を奮い立たせてきた激情が顔をのぞかせる。恐怖は依然として圧倒的だったが、永久凍土で掲げたたいまつの炎ていどには役に立った。
まだ彼女は、何者にもなりえていない。
父に捨てられ、母の息苦しい愛情から逃れ、彼女がよすがとするのは魔法の力のみ。サントエルマの森で力を示さなければ、彼女は存在しなかったも同然だろう。
魔法にすら愛されないことを、彼女は何よりも恐れていた。
彼女は歯を食いしばり、恐怖が吹き出る扉の中へと歩を進めた。
否、そうではなかった。
歩を進めたと思った次の瞬間、彼女は引きずり込まれていった。暗闇の中へと。
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