何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン#5
#5.慌ただしい出立
翌日、早めに身支度を済ませたポーリンは、日の出前に待ち合わせ場所の東門へと向かった。
彼女の正装ともいえる、魔法使い用の黒いローブは背負い袋の中だ。いまは旅人風に、革製のベスト、腰当てとブーツを身につけ、深緑色のマントに身をくるんでいる。セピア色の髪は、ポニーテールにして後ろに垂らせていた。
魔法使いというよりは、小柄な女戦士のような出で立ちだが、腰のベルトに下げるのは、戦闘用の長剣ではなく、主に調理に使うための短剣と、魔法の触媒の入った小袋、そして水筒として使う革袋だ。
新たな旅立ちの心地よい緊張感と、朝露の残る湿った空気を心地よく感じながら、彼女は東門を出た。
街の東側は林になっており、木々の間を縫って街道が続いていた。
チーグの一行が来るまでどこで待とうかと考えながら周囲を見回していたところ、彼女は、街道の入り口の巨木に腕組みをしながらもたれかかっている小柄な人物を見つけた。身長は彼女より小さいが、身体の幅は何倍もある。その頑丈な体躯は、重そうな完全武装の金属鎧に覆われていた。
ある予感がした彼女は、その人物に近寄った。そして礼儀正しく挨拶をする。
「私はラザラ・ポーリン、チーグの旅の共です。あなたはもしかして・・・」
物思いにふけっていた完全武装の人物は、はっとしたように直立不動の姿勢をとった。
「これは失礼いたした、ご婦人。自分は、ノタックと申す者。チーグの仲間の一員です」
背筋をぴんと伸ばし、最敬礼する。
ポーリンは少し戸惑いながら、兜のあいだから覗く顔を観察した。赤みがかったあごひげが胸元まで垂れている。ある程度年配のようだ。
「あなたは・・・ドワーフ?」
「いかにも」
「ドワーフは、初めて見た」
ポーリンは興奮気味に言った。
ドワーフ族の多くは、大陸の反対側の石の王国に住まい、滅多に外を放浪しないし、魔法使いを志す者もいない・・・少なくとも彼女が知る限りは。これまでの人生において、ドワーフと接点を持ったことはなかった。
ノタックと名乗ったドワーフは、軍隊式の起立の姿勢を崩さない。
ポーリンは恐縮しながらおずおずと申し出た。
「あの・・・楽にしてくれないかしら、ええと・・・ノタック。それにしても、ずいぶん朝が早いのですね?」
そう言われたノタックはやや姿勢を崩したが、緊張した面持ちは相変わらずだった。
「自分は、時間を守るのが苦手ゆえに、なるべく一刻は早く行動するようにしております」
「あの・・・ええと、ノタック。私はあなたの上官というわけではないので、そのしゃべり方はやめてもらえないかしら?」
「承知した、ご婦人」
「仲間になるのですから、ポーリンと」
「承知した、ポーリン」
勢いよく話すノタックに、ポーリンは思わず苦笑していた。
そのときふと、林の中から金属がすり合うようなわずかな音がしたような気がした。
「あら?」
ポーリンは林の中をのぞき込もうとしたが、ノタックが彼女の手をつかんだ。そして目で合図しながら小さな声でささやいた。
「何人か刺客が潜んでいる・・・自分に任せてもらいたい」
そう言うと、背負っていた背丈ほどもある重そうな鉄槌を地面に置き、膝をついて柄にむかってなにやらぶつぶつとつぶやきはじめた。
ポーリンは面食らったが、このノタックというドワーフはかなりの変わり者であることは確信していた。
車輪の音がして、東門からチーグの一行が現れた。
チーグ、ノトは小馬に乗り、大柄なデュラモは馬に乗っていた。その後ろに二頭の馬に引かれた馬車が続いていた。荷台には、チーグの大切な書物などが載っているのだろうと、ポーリンは想像した。
チーグは巨木のそばのポーリンとノタックに気づくと、陽気に手を上げた。
「先に着いて待っているとは、感心、感心―――」
そのとき、林の中の藪をかきわけて、灰色装束に身を包んだ刺客が五名、飛び出した。手には刃をきらめかせている。
「チーグ、気をつけて!」
ポーリンはとっさに叫んだが、チーグたちが取り乱すことはなかった。
デュラモが冷静に剣を抜き、馬を駆って刺客たちに襲いかかる。
刺客もそれなりに手練れなのだろうが、デュラモはゴブリンとは思えない強さであった。馬を巧みに操って刺客の行く手を阻みながら、ひとり、またひとりと倒していく。
しかし、五人目は取り逃がし、そいつは勢いよくチーグに飛びかかろうとした・・・が出来なかった。その胸には、矢が刺さっていた。
チーグのとなりで小さな弓をかまえているのは、ノトであった。
ポーリンは、チーグの部下たちの手際の良さに感心していた。
しかし、その感心に浸るいとまはなく、林からもう一体の大きな存在がうなり声を上げながら飛び出してきた。ポーリンの三倍はあろうかという背丈の、薄緑色の肌の巨体・・・その顔は醜悪に歪み、牙の生えた口元からは涎がしたたり落ちていた。
「・・・トロール?」
ポーリンはぞっとする思いをこらえながら、畏れに満ちてつぶやいた。
ゴブリンよりも遙かに危険で凶悪な種族・・・知能は低いがその腕力は人間を卵のようにぐしゃぐしゃに砕いてしまうもの。熟練の戦士ですら単独では手に余る相手であった。
デュラモがトロールの前に立ちはだかり、トロールはしばし立ち止まり首を捻ったが、その丸太のように太い腕を振り上げ、巨漢のゴブリンを馬ごとぺしゃんこにしようとした。
その一撃は、巧みな操馬術でかわしたものの、反対側の腕がなぎ払うように水平に振られると、デュラモは馬から跳ね飛ばされてしまった。
障害を排除して勝利を確信したトロールは、にやりと笑いながら小柄な二匹のゴブリンを見た。
とそのとき、とどろくようなうなり声を上げながらつむじ風のようにトロールに突進する者がひとり・・・ノタックであった。
トロールは首を捻りながら振り返って迎撃態勢を整えようとしたが、それよりドワーフの動きは素早く、双頭のハンマーを力一杯にトロールの膝めがけてふるった。
ぐしゃ、という音がして、トロールが体勢を崩される。強い痛みにトロールは咆吼するが、それはながく続かなかった。ノタックは完全武装の鎧を着ているとは思えぬ素早さで、倒れたトロールの首もとに再びハンマーを振り下ろす。
姿形はトロールよりもずっと小さいドワーフの一撃は、トロールを地面の中にめり込ませるほどに強烈なものだった。
その一撃で、トロールは討ち取られた。
「ノタック、友よ!」
チーグが歓迎するように両手を広げたが、ノトが不意にポニーの上からチーグを引きずり下ろした。チーグが地面に落ちるずしっという音がすると同時に、さっきまでチーグがいた空間を数本の矢が横切った。
「まだ、刺客が?」
ポーリンは警戒しながら周囲を見回す。
先ほどトロールに跳ね飛ばされたデュラモが、地に剣をつきながら立ち上がり、大きく警戒の声を上げた。
「城壁のうえだ!」
三名の刺客が、東門に連なる胸壁のうえから、弓に矢をつがえ狙いを定めていた。
ノタックも素早くそれを見上げるが、距離が遠く即座に反撃は難しかった。デュラモは守りに頭を切り替え、チーグの方に駆け寄ろうとした。
そのとき、三名の刺客が弓を落とし、両手で顔をおさえながら悪夢にうなされる子どものような叫び声を上げた。死霊に取り憑かれたものの断末魔のような声を上げながら、その場にうずくまってしまったまま、姿が見えなくなってしまった。
油断なくその姿を見つめていたノタックだが、ある可能性に気づき、ポーリンの方を見た。
呪文を唱え終わったポーリンは、ほっとしたような表情で戦いの姿勢を解いていた。盲目と恐怖の呪文の複合技―――どちらも初級の呪文であるが、それを融合させることは決して初級の魔法使いにはできないことだ。
どうやら危機が去ったことを確信したチーグは、再び小馬の上によじ登ると、両手を空に掲げて喜びを表現した。
「なんと素晴らしい連携、さすが俺の仲間だ!」
ポーリンは、初級の呪文とはいえ、実戦においてよどみなく唱えることができたことに満足感を覚え、自らのほっそりした手のひらを見つめていた。
自分には、まだまだ先がある。
そして同時に、ゴブリン王国の王子が彼女を部下ではなく、仲間と呼んだことにささやかな喜びを感じていた。
(つづき)
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