何者でもない者たちの物語:烈火の魔女と本読むゴブリン#7
#7.旅路
ドルジ川沿いの小道に沿って、一行の旅は続いた。
旅のあいだも、暇があればチーグは本を読んでいた。
彼は馬車の中に百冊ちかくの書物を積んでいた。詩や文学、歴史書から、農業や建築に関する技術的な本、さらには人間の文化・風俗や料理に関するものまで。
休憩のときに、ポーリンは一冊の本を手に取ってみたが、何が書いてあるのかちんぷんかんぷんだった。魔法の呪文書や、植物・触媒に関する書物は何百冊も目に通してきた彼女であるが、農業や建築の書物になるとさっぱりだった。
そして、ゴブリンであるにも関わらずそれらを読破しているチーグの知性に舌を巻いていた。
「あなたは、恐らく世界でただひとりの、<本読むゴブリン>ね」
ある昼食のとき、ポーリンは何気なくそうつぶやいたが、チーグは思いの他その呼ばれ方が気に入ったようだった。
「<本読むゴブリン>、おぼえておけ、ノト」
チーグは従者にそう命じた。それから、馬車に入り中でごそごそとしていたかと思うと、三冊の本と革表紙の薄めの帳面を持って現れた。
「馬車に積んである本の要点についてはこの帳面にまとめているがーーー」
と革表紙の冊子を見せる。
「百冊の中から特にお気に入りのものを選べと言われれば、この三冊だな」
と、順に見せていく。まるで勲章を自慢する兵士のようだとポーリンは思いながらも、それが書物であるということに純粋な感動を覚えていた。
「リングウェイ王国の文人ヤニスの名作、太陽の騎士団の戦記。これは写しだが、わざわざリングウェイ王国の書店で手に入れた」
そう言って、黒い表紙に金色で題名が書かれた本を見せる。
「続いて、歴史家サリバーンの歴史書。イザヴェル教国の闇の部分にも踏み込んだ独特の歴史観が興味深いが、なにより焚書にされなかった貴重な一冊
だ」
と、自慢げに藍色の表紙の書物を見せた。表紙の一部は焼けたようになっていた。
「そして、中央平原の農業法についてまとめた素晴らしい一冊―――これで、ゴブリン王国は生まれ変わる」
と、緑色の表紙の書物を見せた。
黙って燻製肉を食べていたノタックが、感心したように口を開いた。
「あなたはゴブリンのみならず、恐らくどのドワーフ族の学者よりも知識があるだろう。ドワーフの王国では、人間の文化を研究しただけで追放になるからな」
「はっ」
チーグは面白がるように自身の膝を叩いた。
「ゴブリンは知性を馬鹿にする粗暴さが、そしてドワーフは自らの文化を盲信する偏狭さが、その発展を阻害している。興味深いじゃないかね?」
そう言って周囲を見回すが、難しい言葉を理解しきれなかったノトは口をぽかんを開けていた。チーグは気にせず続ける。
「だからノタック、おまえはいずれ国に戻って、権力ある立場の者となれ。俺たちが手を組めば、いろいろと面白いことができそうだ」
「確かに」
あまり深く考えずにそう口を挟んだのはポーリンであった。
ゴブリンとドワーフは時に敵対する、決して交わることのない道である、そう思ってきたが、この二人を見ていると自らの常識を疑いたくなるのだった。
ノタックはその瞳にわずかな悲哀を写しだした。
「励ましてくださっているのだろうが、殿下―――自分が故郷に戻れる道はない。それこそ―――」
と言葉を切り、地面を見つめる。
「最強のドワーフにでもならない限り」
ぼそりとつぶやくと、ノタックは立ち上がりデュラモと見張りの交代のためにその場を立ち去った。
チーグは残念そうに、唇を尖らせていた。
どうしてノタックは故郷に戻れないのか?
その言葉が喉元まできたポーリンは、それをどうにか飲み込んだ。複雑な事情がありそうだ。いずれ、本人から直接聞いたほうがいいだろう、そう心に決めた。
夜闇にまぎれ、巨大な獣が地に残る匂いを辿りながら、進んでいた。黒い毛に覆われた身体は夜に同化し、その姿をはっきりと見ることはできない。
しかし、その息づかい、わずかに漏れ聞こえるうなり声は、一体の獣ではないようなものだった。
獣の背には、赤い色のマントに身をくるんだ男がひとり・・・そのマントは、星々の光にわずかばかりに映し出されていた。
モナークの宿場町を過ぎたところで、獣の足取りは街道から外れた。
背に乗る男は髭をたくわえた口元をわずかに緩めた。
「・・・コヴィニオン王国に入られると少しばかり厄介だったが、やはり川沿いの経路を選んだか」
暗闇の中、星光を受けてきらめく瞳は一つだった。
死をもたらす危険さをまといながら、その獣は歩を前に進めた。
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