お茶の時間
こんにちは。
awaiのうないです。
会津はとても雪が降っています☃️
寒い冬は暖かいお部屋から出たくなくなりますね。
ずっとお家にいたいです。
今日はお茶の時間についてお話ししています。
お茶の時間との出会い
私がお茶の時間を大切にするようになったのはいつからなのか、もう覚えていません。
でも一番感銘を受けたカフェに初めて足を運んだのは中学3年生の春休みの時でした。
母と、祖母と、私の3人。
高校入学前の春休み。
高校に入ってからは部活やなんやらできっと忙しくなるから、と女3人の旅に行こうよ、とやってきたのでした。
初めて入る静かなカフェ。
店先には、"静かに過ごせないお子様のご利用はご遠慮ください"との看板が。
3人で少し緊張を感じながら入りました。
席について耳に入ってきたのは、穏やかな音楽と人が心地よく働いている音です。
視界は真っ白な壁に覆われて、でもところどころにカラフルな窓ガラスが見えます。
帰り際には可愛く並べられたスコーンや焼き菓子たちがお見送りしてくれました。
そのどれも、今でも頭の中に思い浮かべることができます。
そのひとつ一つは古いのかもしれないけれど、清潔に整えられている場所でした。
その凜とした佇まいはずっと忘れられません。
その居心地の良さ
高校生になった私は友達とよく近場のドトールに行きました。
勉強をするため、という大義名分を掲げ、友達とおしゃべりに花を咲かせていました。
その後、大学生になった私は個人経営のカフェや喫茶店に足を運ぶようになっていました。
もちろんチェーンのカフェにも行っていましたが、どうしてかそれぞれに行く時の気持ちは違ったものでした。
個人経営の洒落たお店に行く時は、少し背筋が伸びるような、緊張(ですが心地よいもの)もしているような感じです。
もちろんどちらに行っても、それぞれに心地よいところがあります。
それぞれにそれぞれの良さがあり、なんとなく似ているような、全く異なるもののような感じでした。
利用する状況によっても、見えてくる景色が変わります。
一人なのか二人なのか、大人数なのか。
そこで本を読むのか、書き物をするのか、友達とお話をするのか。
状況によっては「お店選び失敗した〜」となることもありました。笑
人と一緒に行くときは自分の好みだけでなく、相手の好みも考えなければいけませんからね。
どの状況で、どの場所を選んだら一番居心地が良くなるのか。
また、こんな状況ならどの場所を選んだら一番いいのか。
とっても難しくて、でも考えるのが楽しい事柄です。
どんな時間だと居心地がいいのか。
この人はどんな空間が好きなのか。
これからもいろんな人に合わせて探って行けたら楽しそうですよね。
それも私が考える、私とあなたとの"あわい"だと思っています。
喫茶の余白
喫茶店やカフェは飲食のある場所です。
なので時間だけでなく、そこで提供される飲食物も目的の一つとして過ごすでしょう。
喫茶店に行くようになったころ、私がそこに求めていたものは甘いデザートでした。
色とりどりのパフェや、飾られたケーキ、ボリュームのあるクリームソーダなども忘れられません。
でもやはりお茶の場は食べて終わり、飲んで終わりではありません。
飲みながら、食べながらも、その間や後にある少しの余白。
食事とは異なるまた違う少し間のあるお茶の時間に、私はよく自分のことを考えていました。
相手がいる時も、相手とお話ししながらも、自分のことがちらつきます(集中してないわけではありません)。
おそらく私にとって、日々の生活のなかでは意識しなければ取ることのできない"自分について考える時間"を無意識にお茶の時間に求めていたのだと思います(時間を作るのが下手なんですね)。
食べものや飲みものを楽しみながら、自分について(あるいは自分と相手について)ぼんやりと考える。
そんな余白の時間が好きです。
席の空気感
働いていた喫茶店にはいろいろなお客さまが来ました。
タバコを吸いにくる人(今は禁煙になっています)、会社のお昼休憩にランチをさっと食べにくる人、可愛らしいカップル、夫婦なのか怪しい年配の男女二人組(もちろん探りを入れるわけにもいきません)、仲の良い女の子グループ。
入れ替わり立ち替わり、その席に座った人に合わせて空気が変わります。
お店自体は何も変わっていないのに、その席に座った人たちで出来上がる空気感があります。
その変化はまるで来店されたお客さまの気持ちが投影されているようでした。
席に着いて、今の自分の気持ちと向き合う。
向き合うまではいかなくても少しその確認をする時間にする。
先ほども述べたように、食べものも飲みものもお茶の時間の目的の一つですが、こちらも大きな目的の一つなのかなと考えています。
日々の中でなかなか取りづらい"自分について考える時間"を、お茶の時間で補う。
それをお客さまは上手にされていて、そこから私は大切なことを教えてもらった気がします。
お茶の目的
それでもお客さんにも来店するにはちゃんと目的があります。
ゆっくり過ごすため、パフェを食べるため、書き物をするため、大切な話をするため。
その目的のためにどうしてここを選んだのか。
いつも来てくれるのはどうしてなのか。
おそらくそれは、みんな喫茶のために来ていたからだと思うようになりました。
喫茶店なので当たり前なのですが。
喫茶。
これはお茶を飲むことです。
"喫"自体に、飲む、食べるという意味があるので、わかりやすい単語です(そう思うと喫煙にも何か近いものがあるのかもしれませんね、私は吸いませんが)。
そして禅語にも喫茶という言葉はよく使われており、且座喫茶(しゃざきっさ)、喫茶去(きっさこ)などという形で耳にします。
どちらも「まぁ、お茶でもお飲みなさい」という意味らしいのですが、そこにはそれ以上もそれ以下も深い意味は無いそうです。
というよりも他のいろいろを考えるより、目の前にあるお茶を飲むことに集中するようにということらしいです。
年齢も身分も境遇も、どんな立場にあるかに関わらず、どうぞと出されたお茶を飲む。
そしてお茶を出す側も、そういった立場に関わらず、出すお茶がいいものかそうでないものかに関わらず、来てくれた客人に対して真心を込めてどうぞとお茶を出す。
ただそれだけです。
それを喫茶店にそのまま当てはめることはできませんが、お客さんの目的に合わせてその席の空気が変わることが、その人の求めているものにつながっているのかなと思いました。
ここでの私の思う"喫茶"は、"お茶の時間を通して自分について考えること"です。
お茶をしにきた人それぞれが、過ごしたい時間を過ごしていくこと。
そしてしっかりその時間を設けて、それと向き合うこと。
そこで答えが出ようが出まいが、有意義であろうがなかろうかは関係ありません。
禅語の喫茶ではお茶を飲むことに、私のいう喫茶では自分のための時を過ごすことに、しっかりと集中するということで今回は例を挙げさせていただきました。
わかりづらかったらすみません。
終わりに
言ってみれば私にとってのお茶の時間は、自分にとっての居場所なのかもしれません。
ここにいていいよって言ってもらってる感じなんだと思います。
自分のための時間だから。
お茶の時間を居場所にする人が増えたら、仲間が増えた感じで楽しいだろうなと思います。
ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
宇内梨花子 / awai