アルバイトの思い出
下書きに残っていたものの供養です。
いつ書いたものなのか…?
私はスーパー銭湯でアルバイトをしていた。
系列店は県内外を含めて、20店舗くらいはあるんじゃないかと思う。
そんなところで、主に清掃を担当する仕事をしていた。
大学入学と同時にコロナ禍になった、2020年。
母親がコロナを怖がり、外出制限も多くかかっていた中、バイトを始めるタイミングを見失ってしまった。
免許を取るために教習所に行くことすら渋られていたから、バイトどころの話ではない。
それでもなにかしらの収入がないと実家暮らしでも困るわけで、当時の私は自宅でできる採点バイトをしていた。
国語の記述問題を、1年に4回ほど。
大した金額にはならないし、年末年始には郵便局の年賀状仕分けに行っていた。
それを2年続けて、もうそろそろバイトを始めていいのではないかと思ったのがきっかけ。
親に特に相談することもなく、バイトを探して応募してから「ここを受ける」と報告するような私。
飲食店バイトは高校時代に経験していたこともあって避けたかった。
家の近くにスーパー銭湯があることはもちろん知っていたけど、今までに一度も行ったことがない。
それなのに面接を受けに行ったのだから、我ながらすごいと思う。
面接後に電話がかかって来ず、親とも「ダメだったかも、他の場所探そうかな」と話していた頃、採用の電話がかかってきたことは覚えている。
バイトを始めた当初のことは、何かと必死であまり覚えていない。
大学3年生になろうとする春休みに始め、4月になれば授業も始まる。
3年生はまだまだ授業も詰まっていて、なにより私は遠距離通学をしていた。
週に3回100キロ先の大学まで通いながら、週に3,4回のバイトをしていたような状況。
「さすがにきつい」とシフトの回数を減らしてもらったのを覚えている。
そしてその時期、どうやら私はフロントの主婦の人から嫌われていたらしい。
らしい、というのは私があまり気づいていなかったから。
好かれていないのは察していたし、元々私もあまり会話をするタイプではないし、挨拶くらいで私から話しかけることはない。
確かに相手から話しかけられたことはなかったな、と思いつつもそこまで気にしていなかった。
その人が辞めたあとに「よかったね」と言われて「なにが?」となったくらいには、本当に気にも留めていなかった。
どうも「仕事を覚える気あるの」「なんなのあの子」などと言われていたそう。
これは完全な余談なのだけど、私はメモを取るタイプではない。
どうしても覚えられなさそうなことがあったらその場でメモをするけど、説明を受けて自分で一度やってみて、それでも記憶から抜け落ちていたものを後から整理しながらメモする人。
でも、これって合わない人とは本当に合わないメモの取り方。
後から確認して聞いたときに、「メモ取らないから聞くことになるんでしょ」と言われてもおかしくない。
そういうことではない。
話を聞きながらメモを取っていたら、話を聞き損ねてそれこそ頭から抜けていくのだ。
さらに、メモを書くことに必死になってしまって本当に覚えられない。
だから私なりの工夫なのだけど、合わない人にはとことん合わない。
おそらく、私が嫌われた原因はそれだったんだと思う。
なかなか人の顔と名前が一致しない私は、バイト先の人たちを覚えるのにかなり時間がかかった。
大学でも他の6人のゼミ生を覚えるのに苦戦していたから、バイト先だけの問題ではない。
大学、バイト、そして家のことに追われすぎて、バイト先の人に嫌われようがそんなことを気にしている余裕も時間もなかったのだと思う。
当時は社員からも「あの子大丈夫かな、辞めちゃわないかな」と言われるくらい、その人の態度があからさまで酷かったようなのだけど、それを気にしていないってことは私は鈍感なのかもしれない。
まあ、本当のことを言うならば学生時代に色々あって無視されていたこともあるし、大したことないと思っていたのだろう。
わざとらしく避けて通ったり、すれ違うたびに舌打ちしたり、聞こえるように私の悪口を言うような相手を乗り越えているのだ。
変なところで耐性がついている。
裏でコソコソ嫌って、仲間を増やそうとする人など大したことはない。
おとなしそうに見えるから攻撃の対象になったのかもしれないけど、そういう人ほど割と神経が図太かったりする。
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