入江翔太 「ボクサーの引き際のリアル」
はじめに
こんにちは
現役プロボクサーの僕が、独自取材に基づき、ボクサーやボクシング関係者の「ストーリー」にスポットライトを当てる「あわちゃんnote」。
今回のターゲットはKG大和ボクシングジム、入江翔太トレーナー。
プロボクサーとしてチャンピオンを目指しながら「選手兼トレーナー」としてボクシングトレーナーを始めて、2019年5月の現役引退を機に「専業トレーナー」になる。
昼間にフィットネス会員のトレーナーをして夜はプレーヤーへと変わるスタイルから、昼も夜もトレーナーで、フィットネス会員だけでなく選手指導も任されるようになった。
僕は彼の現役時代をジムメイトとして共に過ごし、何度もスパーリングをして、一緒にロードワークをして、切磋琢磨してきた。
そして今、毎日彼がトレーナーとして僕のパンチをドラムミットで受けてくれている。
(僕が自分のInstagramにアップする用で撮った写真。気に入ってくれたのか、入江さんはFacebookのプロフィール写真にしている。笑)
2019年5月の試合に負け、翌日の会長とのミーティングで引退を決める。さらにその翌日には、専業トレーナーとしていつもどおりジムにいた。
その移り変わりは自然だった。
何事もなかったかのように時は流れ、それから約一年、ジムでの彼の様子からこれまでと変わった何かを感じたことはない。
いや、だからこそ逆に僕は違和感を覚えた。
そんなはずがない―。
普段の彼は温厚で硬派な人柄だが、ボクサーとしての彼は負けず嫌いで感情を剥き出しにして闘っている姿が印象的だった。昭和生まれの男ならではの気質がある彼は、きっと引退したもの寂しさや気恥ずかしさを周りに悟られないよう振る舞っているだけだ。
今回は、「プロボクサー」→「トレーナー」となった「ボクシングトレーナー」のストーリーです。
(現役時代、プロボクサーの入江翔太。重量級らしからぬリードジャブで冷静かつ丁寧にボクシングを組み立てる姿と我を忘れたかのようにフルスイングで激しく打ち合う姿、そのギャップが印象的だった。)
もくじ
(無料記事)
・はじめに
・涙目の真意が知りたくて(それ、涙ですよね?)
・4勝8敗のプロボクサーキャリアから得たものとは
(有料記事)
・ボクシングトレーナーの入江翔太
・引退を決めた「あの日」
・ 俺だけの経験。俺だけの財産。
プロフィール
入江翔太 Irie Shota
1987年7月29日生まれ神奈川県大和市出身の32歳
現役時代の戦績 4勝(2KO)8敗
階級 ウェルター級
入江翔太note https://note.com/shoken23
涙目の真意を知りたくて(それ、涙ですよね?)
僕が沖縄での試合を終えて、二週間くらい経った頃だったと思う。
(沖縄での試合について、詳しくはコチラ→https://note.com/awachaaan0327/n/n457688d67cfc)
僕はそれまで、勝ち負けに関わらず試合から一週間もすればワークアウトを再開してきたけど、このときはまだ復帰していなかった。
進退とかそういう深いことを考えてもいなかったが、ただ少なくともこのときはまだ「また頑張ろう」という気持ちになれていなかった。
KG大和ジムの片渕会長から「試合のDVDが届いたから取りにジムにおいでよ~」というLINEをもらい、久しぶりにジムに顔を出した。
僕は会長と担当トレーナー、それぞれと簡単なミーティングをしてDVDを受け取ると、ものの15分くらいで要件は済んでしまったのだが、久しぶりに顔を出したからかたくさんのジム会員や選手が練習の合間を縫って話しかけに来てくれた。
負けたボクサーに試合以来会ったら、多少はみんな気を遣った感じで話すと思うが、たぶん僕はわかりやすい性格で喜怒哀楽が隠せない単純な男だから人一倍気を遣わせただろうと思う。
入江さんとようやく話したのは、僕がジムに来てから1時間くらい経った頃だ。
現役時代を共に過ごし、切磋琢磨して汗を流した入江さんは何でも話しやすい。彼はボクシングに対してとても真面目な男だし、さらに今は選手とトレーナーという関係がそれにより拍車をかける。
「会長と関島さん(担当トレーナー)はなんて言ってた?」
僕の話をひと通り聞いてくれたあと、彼は僕にそう尋ねた。
「いや、二人とも試合のダメージを気にしてくれた位で、特に今後の具体的な話とかはしなかったんですよね。」
「そっか。」
そのあと数秒のあいだ口を真一文字に結び、そして意を決したように彼は口を開いた。
「俺は試合翌日のミーティングで会長から引退勧告を受けたんだよね。」
後日そのときの話をすると彼は否定したが、そのときの彼の目には涙が溜まって目頭が熱くなっていた。
きっとそのときを思い出したからに違いない。
彼がその話で僕に伝えたかった真意はわからない。
「まだ諦めるなよ」、そんなところだろうと僕は解釈した。
この一年間で、彼が僕に唯一見せた綻びだった。
その目に浮かべた涙こそが彼の引き際にあるストーリーを掘り出したくなったすべてで、絶対にドラマがあると確信した瞬間でもあった。
4勝8敗のプロボクサーキャリアから得たものとは
小学1年生から大学卒業まで、16年間サッカーに打ち込んだ。
サッカーは学生時代の青春そのものだ。中学時代はJリーグクラブの下部組織チームでプレーし、高校、大学と共にサッカー推薦で進学した。いわゆるサッカーエリートでプロサッカー選手になることしか頭にはなく、それがすべてだったが、その夢は叶わず大学卒業と共にサッカーを辞めた。
それから一年後、23歳でボクシングに出会った。
「スパーリングしてみたい」という有り余ったエネルギーの発散程度の動機だったが、片渕会長からジムのフィットネストレーナーに誘われたのがきっかけでプレーヤーとしても本気でチャンピオンを目指すようになる。
アマチュアで4戦4勝、プロテスト一発合格……順調なボクシング人生のスタートを切ったが、プロデビュー戦でTKO負け。それからも負け星が先行する。
新人王、A級昇格……負ける度に段階的な目標を軌道修正しながらも決して屈することなく、定年の37歳までプロボクサーを続けて最後にはチャンピオンという頂を手にするつもりでいたが、前述のとおり志半ばで引退。またしても夢は破れた。
しかし、「サッカーを辞めたときとボクシングを辞めたときで、同じ気持ちになっていなかった。」と入江さんはいう。
サッカーを辞めたときはフリーターをしながらふらふらして一年間を過ごしたが、ボクシングを辞めるとすぐにKG大和ボクシングジムの正社員になって次の道へと進んだ。
「ボクシングトレーナーを一生涯の生業にしたい」と語る彼は、担当する選手たちに「みんながチャンピオンになれることはないが、みんなちゃんとボクシングをやりきってほしい。そうすれば辞めたときに自分の中に何かが残る。」と思いながら、今指導にあたっている。
この言葉の由来は自身の経験によるものだろう。
決して輝かしいとはいえないプロキャリアを送った彼の中に何が残り、今トレーナーとして選手やジム会員にどうやってそれを伝えているのか。
僕は、綺麗事ばかりではなく鮮やかに彩られてはいない「ボクサーのリアル」が知りたくて、彼のストーリーにもう少し迫ってみた。
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