京都女子大学文学部史学科の仲間同士、寮生同士でのこととか。その1
1994年、京都女子大学には寮が4か所あって、錦華寮、日吉寮、東山寮、小松寮に住んでいた寮生は年末頃に日吉寮を退寮(=脱出≒脱獄。爆)した私も含めて800人くらいいたとか言われていました。
「監獄日吉」「ホテル東山」「パラダイス錦華」、小松寮はなんて言われていたのかは忘れてしまいましたが「日吉寮と小松寮は厳格」、他2か所は天国、みたいな騒がれ方をしていたりは強烈でした。
私は入学後に大学側に必要書類を提出する時に「宗教に対しての考え方を教えてください」のような質問に対して、古い話なので正確ではないですが「ここは他よりかは温かさ、ぬくもり、優しさがあるところだと思います」のような回答をしていたと覚えています。
「史学会旅行」では日帰りで宇治市の平等院鳳凰堂に文学部史学科からみんなで遊びに行ったり、「宇治は綺麗」「景色が綺麗」「私、こんなところに隠居した~い」とかはしゃいでいた人とかもいたし、私は誰かと話しながらとかではなく一人で歩いたりもしていましたが大勢でわいわい言いながらの史学会旅行はその日は天気も良かったし楽しかったです。
余談ですが、宇治の銘菓に「茶だんご」とかがあるのも私はその時に知って、大学を卒業してからは祖母、母、叔母と一緒に京都に泊りがけの旅行で遊びに行ったりしていた時に当時まだ完成して間がなかった京都の大きな駅ビルの中の売店で見かけたり、宇治限定キティバージョンの缶入りのお茶の味の飴を買ってもらったりもしていました。
続きます。