
小説トンデロリカ EP01「ファイヤーボール」前編
■chapter1
「はあ? 散歩? やなこった」
ここは無州倉(むすくら)家の玄関。
腕組みをする俺の前で、ロリカがしゃがみ込んでスニーカーに紐を通している。
「行こうよ。わたしさー、シーモンキーとザリガニしか飼った事ないからさ、犬のお散歩するの夢だったんだよね」
「……ん? 犬のお散歩?」
俺は翻訳インカムの故障を疑った。
犬……!
俺が子供の頃、図鑑でああいう生き物の絵をよく見た。
俺達デラムクの遠い祖先というやつだ。
この星では今でもそこら中にいる。
「ファル君が来てくれて嬉しいよ。お喋りも出来るし。犬っていうよりは狸っていうかアライグマみたいだけど」
「ふざけるな! 俺は犬でもアライグマでもない、デラムクだ! この毛艶を見てみろ。こんな見事な毛艶の男前がこの星にいるか? ま、お前のようなふさっとしてるかつるっとしてるか分からんような生半可な出来損ないにゃあ分からんかもしれんがな」
「だ、だから! わたしはもう子供じゃないよ!? ちゃんと毛ぐらい生えてるって!」
「どうだか」
「まあ、それはいいじゃない。ほら! 一緒にお散歩しなきゃいけないでしょ? だからねー、新しい靴、買っちゃいました。似合う?」
ロリカは片足だけスニーカーを履いて、ぴょんぴょこ跳ねてみせる。
真っ白いキャンバス生地で出来た、紐を何列も通さないといけない、微妙に地味な靴だ。
似たような靴は玄関に何足もあるじゃないか。
「足にもまともな毛が生えていないから、そんな物が必要なんだ」
その時。
見知らぬ犬が、ぬっと、玄関に入ってきた。
「なんだ? この原始人は?」
赤いマフラーをした、いかにも考えの浅そうな若い犬だ。
犬は上目遣いで、媚びるような、ごまかし笑いのような顔を浮かべていたが、いきなりロリカの新品の靴を片方だけ咥えて、逃げていった。
「え? ど、泥棒!?」
ロリカは咄嗟の事に反応出来ない。
「レコード我慢して……ファル君と散歩する為に買ったのに!」
ロリカは片足だけスニーカー、もう一方は裸足のまま、ヨタヨタと外へ出ていった。
ロリカの声は濡れていた。
……くそ!
「どけ、のろま!」
俺はロリカの追い抜いて、泥棒犬を追った。
あの野郎、面倒な事をさせやがって。
とっ捕まえて剥製にしてやる。
■chapter2
「待たんか! この野郎!」
赤マフラー犬は意外なほど足が速かった。
後ろに棚引くマフラーがスタビライザーの役目を果たすのか、曲がりくねった隘路も全速力で駆け抜けていく。
そうして。
奴の逃げ込んだのは、廃校となった小学校だった。
校庭には古タイヤやドラム缶、エアコンなんかが積み重ねて捨ててあった。
奴を追って廊下を抜け階段を駆け上がり、ある講堂へ。
そこでやっと追いついた。
「おら!」
「キャンッ」
俺がタックルした拍子に、犬の口から、ロリカの靴が吹っ飛んだ。
転がる靴を目で追う。
「なんだ、こいつら」
そこには、百匹ばかりの犬が、一斉に俺を見ていた。
トゲトゲの付いた首輪をはめている奴。
包帯だらけの奴。
眼帯を嵌めた奴。
頭の両側から太いボルトの突き出ている奴。
頭のぐるりに縫合痕のある奴。
プロペラのついた帽子をかぶっている奴……。
あとなにか、俺の目には人間の入った着ぐるみにしか見えんが……、四つん這いになっているし、あいつもそうなんだろう。
とにかく、なかなか面構えのいい奴らが揃っているじゃないか。
冷たい殺気と、血を含んだ生臭い息が俺を包み込む。
ニワトリやハトの羽が舞っている。
犬どもの輪の中央に、机や椅子やガラクタを組み合わせた小山が出来ていた。
小山の向こうは巨大な窓。
野球帽をかぶった犬が、転がったロリカの靴を咥え、小山を駆け上った。
山の上には、ソファが置いてあった。一種の玉座だろうか。
玉座には、一匹の犬が座っていた。
寝そべっているのか、逆光でよく見えない。
帽子犬がロリカの靴をそいつに差し出す。
玉座の犬は、その靴を一瞥し、
「これじゃない、こんなスメルじゃない……」
と一蹴した。
そして、子分の犬の口から、事も無げに叩き落した。
ガラクタの山を、ロリカの白いスニーカーが転がり落ちる。
俺の中で、血が煮えた。
毛が逆立つのを感じた。
「はあ、はあ、やっと、追いついた。走りにくくて」
その時、ロリカがやってきた。
片足だけスニーカーを履いて、もう片足はゴム草履だった。
「あれ、わわ、犬がいっぱい……」
ロリカは犬達に怯むも、
「あー! それ、私の靴ー!」
「持って帰っていいぞ。しょせんは惰民の靴だ」
玉座の上から、奴が言う。
翻訳インカムを付けていないロリカには、犬の言葉は分からないだろう。
分からなくて良かった。
「小僧!」
俺は、逆光で見えない顔に、指を突き付けた。
「お前が、自分の前足で、その靴をロリカに履かせろ! 跪いてだ!」
犬達がざわつく。
玉座の上に、奴が立ち上がった。
立ち上がり、しかしなおも小さい。
立った耳。
濡れた大きな目。
薄茶色の毛並み。
俺の壊れかけたバイザーに、そいつのデータが表示される。
体高22cm、体重2.8kg。犬種チワワ。
地球上で最も小さな犬種……。
だが、こいつの存在感はなんだ。
こいつのまとう、圧倒的なオーラは。
逆光に縁どられた小さな影の中、二つの目が光る。
犬のくせに金色のアクセサリーをいくつもまとっている。
いや、そんな事はどうでもいい。
小さい風体(なり)だが、こいつは、でかい。
明らかに、大物。
「俺の名はジェラルド。この犬友会(けんゆうかい)を仕切らせてもらっている」
チワワが言った。
こいつは、相手を見下ろす事に慣れている。
「はッ。お山の大将か」
「見慣れない顔だな。新入りか。しょんべん(マーキング)したいなら希望の場所と時間帯を届け出ろ。手土産を忘れずにな」
「俺を子分にしたいってのか?」
「お前自身が納得したらでいい。心と体で、納得したら」
チワワがゆっくりと降りてくる。
ロリカは、何が何やら分からぬ顔だ。
周りの犬達は黙って見守る。
こいつらなりの秩序を持っている。
力関係が上から下まで真っ直ぐに通っている。
こういう奴らは話が付けやすい。
俺は表情を変えずに、心臓の鼓動だけを速めた。
血流の量を上げ、馬力を上げておく。
チワワはガラクタの小山を降りながら、小山の一部であった書道セットをはたき落とした。
墨汁の瓶の蓋は開いていた。
俺のバイザーには、墨汁の落下予測地点が表示されていた。
ロリカのスニーカーだった。
白いキャンバス地が墨汁に染め上げられる様が、脳裏に。
「気を付けろ馬鹿!」
俺は水滴が落ちるよりも速く講堂を駆け抜け、ロリカのスニーカーを手に取った。
「!?」
俺の手から、スニーカーが落ちた。
指に、鋭い棘が突き刺さっていた。それも十個。
スニーカーの中に画鋲を仕込まれてあったのだ。
いつ仕込んだんだ!?
こんな原始人が?
笑いが込み上げてきた。
「なるほど、お前は俺の思ったほど、真っ当なヤツじゃなさそうだな。面白いじゃないか……」
その時。
視界が傾き、捻じれた。
焦点が合わない。
毒!?
「どうした、酔いどれか?」
渦を巻く世界の中、視界の端でチワワが言う。
その声もまた螺旋を描きながら俺の耳に届く。
声に温度はない。
馬鹿か俺は。血流量を上げた事が仇になった。
「悪いことは言わん。家に帰って犬用の下剤を飲ませてもらえ。それとバケツ一杯の白湯をな」
捻じれる視界の中で、どうにかこうにかチワワを捉える。
奴の目は据わっていた。
土台がしっかりとして、揺るぎが無い目だ。
目的の為なら、自分を殺せる奴の目。
「なに、俺は上がり症なんでね、お陰で緊張がほぐれたよ」
拳を握り込む。爪が掌を刺す。その痛みで意識を繋ぎとめる。
「お頭ー! こいつは犬じゃねえ! ハクビシンですぜ!」
一匹の犬が、いきなりそう叫んだ。
「なに」
なんだ? 俺のことか?
俺はそんな奴じゃないぞ。
俺はデラムクだ。
チワワは山から降りるのをやめた。
「犬同士ならタイマンのつもりだったが、ハクビシンとあっちゃあ、戦争、やるしかないだろう?」
犬友会の連中が、ずらっと俺を取り囲む。
見物の目つきじゃない。
歯が光っている。
牙だけじゃない。
口に鎌や短刀、ロケット花火や電気ドリルを咥えた奴もいた。
それら凶器の煌めきが、俺の酔った視界には終始流れ星のように走っていく。
数も分からないし位置も特定出来ない。
流星群だ。
「俺は一匹だぜ?」
「それがどうした。俺達は犬だ。犬は群れで生きるもんだ」
「文句のつけようもないな」
「ファルくん、喧嘩? わ、私も」
ロリカが、両足にスニーカーを履き直し、つまさきをとんとんする。
やめろ。こいつらを刺激するな。
くそ、ロリカのバカ、家で待ってりゃよかったのに。
プロペラ帽子の犬が、ロリカと俺の間に入る。
「ぐるる……(お嬢ちゃんよお、野暮な真似はするんじゃねえぜ)」
「安心しな。俺達は人間は襲わねえ。保健所が怖いからな。ご主人が、悲しむ」
チワワのジェラルドが俺に言った。
「いい心掛けだな。すっこんでろ、ロリカ」
ま、いい勝負ってわけには、いかなそうだが。
毛が湿り、重みを増す。
冷や汗かよ。
まいったな。
「それじゃあ、やるかい?」
ゆらりと、俺は踏み出した。
俺を囲む輪が、ゆっくりと狭まる……。
「ジェラルド犬友会、アターック」
ジェラルドが叫ぶ。
さあ、戦いだ!
その時!
「ピィヤアァァァァ!」
すさまじい奇声を上げながら、一体の巨人が乱入してきた!
全身をもっちりしたラバー状の物質で包んだ、巨体。
顔のある位置には三つの黒点。
その異様!
「ツルコロン!」
俺とロリカは同時に叫んでいた。