
小説トンデロリカ EP07「オメルタ」
■prologue
おめでとう!
このメッセージを解読できるとは、あなた達の文明はなかなかどうして大したものです。
これから記す事をよく咀嚼すれば、あなた達の文明レベルがさらに数段階アップする事うけあいです。
しかし注意して下さい。
それは、あなた達がこれまで持った事のない責任をしょい込む事でもあるのです。
その覚悟はありますか?
オーケー?
よござんす。
ならば次の章へどうぞ。
■chapter1
僕、戸隠ハジメ(とがくれ はじめ)。
今日が転校初日ってわけで、通学路を胸を張ってズンズン歩いてる真っ最中。
目指すは甘棺(あまかん)中学。
いきなり舐められちゃたまらない。
だってほら、僕ってかなりの美少年だし、体つきは華奢だし、ちょっとヤバイ連中にモテちゃうタイプじゃない?
ラグビー部の部室に連れ込まれたりしたら大変だよね。
なんて考えてた矢先!
「ヘ~イ、ボ~イ。待てよ、おら」
不良だ!
推定身長185cm!
体重110kg!
類人猿タイプの顔つき!
焦げたフランスパンを頭に乗せたようなリーゼント!
バスケットボールのような拳!
襟元のバッチによると同じ中学の二年生、先輩だ!
「ここは有料道路なんだよ。知らないんか?」
「あひー!」
僕はビビり過ぎて後ろにひっくり返ってしまった。
「いっ痛!? え、ち、血ぃ!?」
転んだ拍子に掌を擦りむいていた。
ダメ。
うっぷ。
僕は血を見ると気持ち悪くなるんだ……。
「一万円。なけりゃ、そこの公衆便所で奉仕してもらっても構わんぞ? 俺はけっこう長えから遅刻するぞ」
不良先輩がカチャカチャとベルトを外しながらにじり寄る!
「だ、だれ……か……」
恐怖のあまり声が出ない。
腹筋が働かない。
だれか、たすけてぇー!
無音の悲鳴。
空気を振動させない、どこにも届かない救難信号(メーデー)。
そのはずなのに。
「その汚いものを仕舞いたまえ」
凛とした声。
すらりと長身の女生徒が、僕と不良先輩の間に立っていた。
涼やかな風が吹き、彼女の腰まである長い髪が揺れた。
まつ毛の長い、切れ長の目が、真冬の湖面のように光っていた。
「て、てめえは生徒会長!? やべえ、これ以上失点したら、親に言いつけられちまう! 見逃してく」
れねえか。
そう言い終わる前に、不良のリーゼントに木の角材がめり込んでいた。
ゴッ、という重い音は後から響いた。
「て、てめ、いきなり……」
不良先輩は学生服のポケットに手を入れた。
女生徒は意に介さず、1メートルはある角材を再びリーゼントに叩きつけた。
ゴッ。
ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ。
滅多打ちだった。
「も、もう、やめてくだしゃい……」
女生徒は、地べたに転がっている不良先輩のポケットから、折り畳みナイフを取り出した。
刃を出し、不良先輩の学生服の背中に、小さな切れ込みを入れた。
不良先輩の筋肉の圧で、学生服はぷりんっと向けた。
汚い巨体が全裸を晒す。
不良先輩は全裸で地面に寝そべり、めそめそ泣いていた。
女生徒は、それを軽く見下ろしてから、向き直る。
「大丈夫かい?」
倒れたままの僕に、手を差し伸べてくれる。
「私は未踏院零子(みとういん れいこ)。甘棺中学の生徒会長をしている」
「生徒会長……。ぼ、僕は、戸隠ハジメ……。転校生です。あ、会長、手から血が……」
「ああ。角材を強く握り過ぎてしまった。血なら、ほら、君もね」
生徒会長は微笑んだまま、僕の、擦りむいて血の滲んだ手を握った。
僕を引っ張り、立ち上がらせてくれる。
僕の顔と、会長の顔が、すぐそばに。
会長の方が背が高かった。
恥ずかしくて目を見上げられない。
唇だけを見つめて。
心音が高鳴る。
繋いだ手から、赤い滴が落ちた。
「血が混じってしまったね。気持ち悪いかい?」
「い、いえ、そんな。とても綺麗な血です……。あの、これ!」
僕は自分のハンカチを会長の手に巻き付ける。
「いいのに。では、君の手も」
「こんなの、舐めておけば治ります」
「誰が舐める?」
耳の奥で鳴る自分の鼓動がうるさくて、会長の声は聞こえなかった。
でも、光る唇の動きだけで、会長の言葉が分かった。
そうか。
だから僕の無音の悲鳴も、会長に届いたんだ。
僕達は、きっと繋がっているんだ……。
■chapter2
「あの、未踏院零子会長はいらっしゃいますか!」
昼休み。
生徒会室に乗り込んだ僕を迎えたのは、生徒会メンバーの無感動な眼差しだった。
「……誰?」
ひっつめ髪の眼鏡女子が、生徒会長に尋ねる。
「ん? 君は確か、朝の……。ふふふ、そうか」
会長だけが笑顔を見せてくれた。
他の生徒会メンバーは、無愛想な冷たい顔付きで、僕の事になど構わずに、帳簿にペンを走らせたりパソコンに向かったり、校内募金箱から一円玉だけを仕分けたりしていた。
「あの、あらためてお礼を言いたくて……」
「まあ、飲みなよ」
会長は凹みだらけの銀色のアルミのコップに、ヤカンで煮出した麦茶を入れてくれた。
「朝は災難だったね」
「ほんと、頭にきちゃいます! あんな類人猿、檻から出しちゃダメですよ! ファミレスのガムシロップを持ち帰ったり、公衆トイレの紙タオルを無駄に使いまくるタイプです! あいつが退学したらもっといい学校になりますよ!」
「ああいう不良は多いからね。彼らを一掃するとして、どうすればいいと思う?」
「それは……、生徒会の権限で取り締まって……」
「残念ながら現時点では生徒会にそこまでの力はないんだ。学校の制度を変えない限りね」
「じゃあ、校長先生にお願いすれば」
「無駄さ。今の校長は傀儡政権そのものだ。理事会は財閥系のOBで構成されているからね。無視できないんだろう。学校という聖域を金で好きなようにされてはたまらないよね」
「はあ……。じゃあそこの一番偉い人に……、理事長(?)にお願いすれば……。お金だけくれて、学校の事は生徒会に任せてもらえるように」
「そうだね。理事長に嘆願できればいいよね。でもどうやって?」
「ま、真心を込めて、手紙にしたためれば! 直接届けに行けば読んでもらえるはずです!」
「私もそう信じたいよ。君は良い子だね。素直で。好きなタイプだ」
「え」
あー。
ああーあ。
ああーああーあ。
背後から、ぽん、と肩に手を置かれて、ビクッとした。
眼鏡をかけた、暗い顔の男子生徒だった。
耳まで髪で隠れている。
「生徒会、見習いの枠が空いてるけど、どうする?」
むっつりとした声で、男子生徒が言った。
会長は微笑んで僕を見ている。
「……僕、やります! なんでもやって、皆さんのお手伝いします! そして学校を平和にして、良い世界を作ります!」
一瞬の間。
それから「アハハハ!」と渇いた笑いが起きた。
ひっつめ髪の眼鏡女子だった。
「ハハハ。ようこそ。『除名』されないように気張ってくれ」
暗い顔の男子生徒が言った。
僕を無視していた他のメンバーも、笑っていた。
でも、誰も本当には笑っていなかった。
「え? え?」
キョトキョトする僕に、
「ありがとね。じゃ、さっそくだけど」
会長から仰せつかった仕事は、ボロボロに錆びた鉄クギの山から赤錆を落として集める事だった。
なんだか分からんが頑張るぞ!
■chapter3
放課後。
とっくに日は沈んでいた。
うす寒い中、僕は校門に立っていた。
「あれ、君は」
「会長、お疲れ様です!」
「私を待っていたのかい? 寒かったろう」
「いえ、全然。新陳代謝が上がっちゃって」
高架線の横の道を並んで歩く。
高架の下はちょっとした空き地になっていて、壊れたエアコンや原付バイクが捨ててあった。
邪魔の入らない、静かな、寂しい道だ。
アピールするなら今だ。
何かやらなくちゃ!
会長は利き手に僕のハンカチを巻いたままだ。
反対の手で鞄を持っている。
「鞄、重いでしょ! 僕持ちます!」
会長の鞄をひったくる。
ほ、本当に重い!?
肩が抜けそう!
「大丈夫かい?」
「い、いったい、何が入ってるんです?」
「参考書をちょっとね」
「勉強の?」
「まあね。これさ」
鞄を開けて、中を見せてくれる。
そこには、黄ばんでボロボロになった古臭い本が何冊も入っていた。
「根菜栽培法」「成分分析表」「調理献立表」「カロリー療法」「ニラの詩」そして「ポンポコ時計」。
あと、中身の詰まった茶色のガラス瓶が何本も。
調味料かな。これが重いんだ……。
会長、料理の勉強もするんだ。
この「参考書」もいかにも秘伝のレシピって感じがする。
すごいなあ。
才色兼備とはこの事だよ。
でも、僕だって何かお手伝いしたいんだ。
「あの、僕も今度、これで勉強してもいいですか!? 会長忙しいから、会長が働いている間に、僕がこれ読んでいろいろ作ったら、いいと思って……」
思わず口走ってしまったけど、どうしよう、なんだかとても図々しいよね……。
何様のつもりだって話だよね。
あああ、失敗した。
「そう言ってくれると信じていたよ、ハジメ君。私達はもう一心同体だからね。勝手ながら、私はそう思っているよ」
会長が、手のひらに巻いたハンカチをいじりながら言った。
一心同体……!
あわわ。
耳鳴りがした。
耳が熱くなって、膨らんでいるみたいだった。
「僕、頑張ります! 会長の理想成就のお手伝いの為に!」
「君のような子がいてくれると助かるよ。とにかく手が足りないんだ。昼間も言ったように、うちの学校一つ取っても不条理な事ばかりだからね。なぜだと思う? 社会が不条理に溢れているからさ。こんな世の中は間違っているよ」
「そうですね!(?)」
「でも、それに気付いた者は、それを正す義務が生じる。自分の手で、ね」
僕は鞄を提げて、足を引き摺るようにノロノロと歩く。
会長はそんな僕に鞄を任せたまま、一緒にゆっくりと歩いてくれる。
僕を、頼りにしてくれている……!
「のろくて……すいません……」
「いや、かまわないよ。とは言え、あまり遅くなると君の親御さんが心配するだろう?」
「いやあ、はは。会長だって」
「私は平気さ。天涯孤独の身だからね」
「え、それって。会長はお金持ちのお嬢さんなんじゃ」
「まさか。生まれは田舎の漁村だよ。父親は不明、母親はケチな詐欺師でね。秘宝館で想像妊娠、処女懐胎したと騙って、私を引き連れて詐欺行脚さ。不妊に悩む夫婦に聖母子マークのコンデンスミルクを法外な値段で売り付けたりね。ひどいものさ」
「わ、わあ……」
「そんな母も、私が八歳の時に失踪してね。残飯漁りとドングリで飢えをしのいだものさ。施設に保護されて読み書きを覚えたのは、それから二年も経ってからだよ。施設を脱走した後は、季節労働者の群れにまぎれて貨物列車で……」
すごい経歴だ。
僕とは大違いだ。
僕なんか……、あれ、ええと、僕なんて……。
とにかく、特に話せる事なんてない。
「まあ、お陰で女だてらに図太い性格になったかもしれないね。だから生徒会長なんてヤクザな事をやっていられる。……すまない、こんなのつまらない話だね」
冷たくない、涼しい瞳。微笑み。
会長は堂々としていて凛々しくて、無敵に見える。
こんな人いるんだ。
同じ中学生なのに。
だめだよ。
見つめていると、引き寄せられちゃって、「一緒に歩くと幅寄せしてくる奴」みたいになっちゃう。
会長、あなたは、きっと僕のヒーローです。
■chapter4
「あ、ほら、知ってる?」
「え?」
会長が、道路わきの掲示板に貼ってある「怪人注意」のポスターを指さす。
小学生がクレヨンで描いた、荒々しいタッチのポスターだ。
激しく襲いかかる真っ白い巨人と、襲われているのになぜかニッコリしている女の子という、子供特有のセンスで描かれた絵。
「またこの怪人が出たんだね。何なんだろうね。中に入ってる人には記憶がないから逮捕も出来ないっていうし」
「はい……。怖いですね」
「大丈夫さ」
私が助けてあげる。
というセリフが続く事を、疑問もなく予想した。
それなのに。
「きっとあの子が助けてくれるから」
え?
あの子?
会長自身じゃなくて?
「ねえ、神変戦闘少女Lって知ってる?」
「神変戦闘少女L……。それって、あの、都市伝説の?」
「そう。怪人現わるところに駆けつける謎の少女。とても強くて可愛いんだって。私もそんな妹が欲しいな」
そう言う生徒会長は、昼間の凛とした強い女性の顔ではなかった。
なぜだか、照れくさそうな微笑みだった。
余裕綽々の笑みではなかった。
本物の微笑みだった。
……なに、その顔。
やだ。
やめて。
なんなの。
そんな笑顔、やだ。
だって、そこに僕がいないんだもの。
「でもそんな、いるかいないか分からない人なんかよりも……、ぼ、僕が……」
「え? 誰が?」
会長の微笑みは、もう、余裕のある、大人の笑みに戻っていた。
僕を見る時の笑顔。
保護者の笑み。
どうして。
僕が好きだった笑みなのに、今はこんなに、つらいなんて。
「誰が?」
「……ええと、ほら、スワットとか……」
僕は己の馬鹿さ加減に愕然とした。
なんて意気地なし。
「あー、ポリね」
会長がフーとため息を吐いた。気がした。
「警察も、施設の職員も、ホーボー(渡り鳥労働者)の長も、ドカタの親方も……、助けると言いつつも、単に奴隷の檻に押し込めようとするだけだった。自分のルールを押し付けるのが正義だと思ってる。そういうのが不条理っていうのさ。でも、神変戦闘少女Lは違う。あの子は、ただ助けてくれて、消えてしまう」
あの子、あの子って……。
Lが、なんだってんだ……。
情けなさに、クラクラしてきた。
「ちょっと君、大丈夫? ……あぶない!」
会長が僕に手を伸ばす。
ああ、やっぱり助けてくれる。
僕がヨロヨロすると、すぐに手を差し出して、支えてくれるんだ……。
いいんだ。
だから僕は、ずっと、会長に助けてもらおう。
僕は「会長の正義」の檻で飼われてもいい。
僕はそれでオッケーなのだ。
それなのに。
「え」
会長は、僕を支えてくれるどころか、逆に、突き飛ばしてきた。
なんで……?
そう、意識に疑問符が浮かび上がるまでの数瞬。
スローモーション。
僕を突き飛ばした姿勢の会長の真上に……なんだか見覚えがあるようなないような不思議な形の「カプセル」が落ちてきて……会長の頭にぶつかり……カプセルが割れて……カプセルの「中身」が会長を濡らして……。
「はやく……逃げなさ……」
間延びした会長の声が。
「アウッチ!?」
突き飛ばされていた僕が、地面に尻もちをついた。
衝撃に、目をつぶった。
次に目を開いた時、そこに会長はいなかった。
僕の目の前にいたのは、むっちりとしたもち肌の、三つの黒丸の「目」を持った、巨人。
噂の怪人が、会長と同じく、僕を突き飛ばしたポーズで、立っていた。
「え、え、会長……!?」
「ピィヤアアー!」
怪人の雄たけび!
■chapter5
会長が、怪人になっちゃった!?
どうしよどうしよ!?
会長がこのまま元に戻らなかったら、学校を平和にするっていう夢はどうなる?
それに、この先、いったい誰が僕を助けてくれるってんだ!?
誰か!
僕と会長を助けてえ!
声は出なかった。
恐怖のあまり、腹筋が働かないというか、声の出し方自体を忘れてしまったようで。
ズンダ……。
怪人が地響きを立てて足を踏み出した。
僕の方へ。
こないでー!
怪人は、右腕を、まるで弓を引くように、引き絞った。
これって、まさか。
え、うそ。
僕を殴ろうとしているの?
あんな太い腕で、あんな巨大な拳で。
僕、きっと、死ぬ。
誰にも助けてもらえなくて。
なんだよ、なにが神変戦闘少女Lだよ。
助けてくれないじゃないか。
会長も会長だよ。
僕を助けてくれるどころか、僕を殺す事になってさ。
まったくこの世は不条理ばかりだよ。
やってられないよ。
会長の言ったとおりだ。
こんな社会は間違っている。
思い切り引き絞られた、怪人の巨大な右拳。
強く握り締められて、むっちりとした肉肌に、ビキビキと関節の皺が刻み込まれる。
その拳の皺の一本、その隙間に、ペロッと布切れの端っこのようなものが顔を覗かせていた。
あれは……。
僕が巻いてあげた、僕のハンカチだ。
会長が僕を助ける為に傷を負ったから、僕が巻いてあげたんだ。
僕は、尻もちをついたまま、自分の利き手の掌を見た。
朝、同じく転んだ際に擦り剥いた傷の痕があった。
そうだ、あの時。
僕と会長は、手を繋いだ。
血が混じってしまったね。会長はそう言った。
そうだ。
今度は僕が。
僕が、助ける番なんだ。
今度は僕が!
心で叫んで、立ち上がる。
でもやっぱり怖い~!
立ち上がって、間髪入れず、しゃがみ込んでしまった!
そんな僕の頭上を、白い超特急が通過した。
ドゴッと、衝撃音。
僕の背後の電柱とコンクリートの壁が砕け散っていた。
電柱は電線を引き千切りながら倒れ、辺りにはバチバチと火花を散らす電線が躍った。
怪人は、拳からコンクリートの破片を振り落としながら、僕の方へと振り返った。
え、パンチ一発で、電柱とコンクリートの壁を砕いたのね……。
「でも」
でも、だって。
自分の声が聞こえてしまった。
もう、声が出るようになってしまった。
「でも、僕が」
自分で言葉を吐き、自分の耳で聞く。
僕は立ち上がっていた。
怪人と向き合っていた。
「僕が、やらなくちゃ。僕が、助けなくちゃ」
僕は逃げない。
僕には勇気がある。
「だって、なぜなら僕は! 私は!」
学生服に紫電が走る。
僕は、私は、走っていた。
「ツルコロン」に向かって、突っ込んでいた。
男子用学生服の偽装が解け、命の赤に染まったスーツと、星の銀色の装甲に変わっていた。
手には電磁クナイが光っていた。
「会長、もう大丈夫ですよ……」
■chapter6
崩れたツルコロンの「皮」の中から、零子会長が目を覚ました。
きょろきょろしている。
それから、自分の鞄を見つけて、見下ろす。
鞄の蓋は開いて、ぺたんこになっていた。
そこまで見て、私はバイザーの望遠を切った。
私は離れた場所のマンションの屋上に立っていた。
会長の鞄に入っていた何本もの茶色瓶も「ポンポコ時計」とかの参考書も私が持ち出していた。
瓶を並べて、電磁クナイを一閃。
瓶に詰まっていたアルミ粉や酸化鉄の粉が混ざり合って、クナイのプラズマで点火され、猛烈に燃え出した。
その炎へ、参考書の束を投げ入れた。
すべてを思い出していた。
私は朝、「変わり身モード」のレベルアップの特訓で、徹夜で考えた「戸隠ハジメ」という美少年設定を、鏡の前で頭に叩き込んでいて……。
その自己暗示が強すぎて、無州倉ロリカであることを忘れて……、自分を戸隠ハジメと思い込んでしまって……。
「よ、ロリカ。おー、よく燃えてるな」
すぐそばに、ファル君が姿を現した。
「何に化けたところでお前はお前ってわけだ。誰もお前の代わりにゃなれないのと同じよ」
「ファル君、見てたの? どうして助けてくれなかったの?」
「助けが必要だったか?」
私はもう一度会長を見た。
会長は、掌に巻かれたハンカチをじっと見つめている。
あれを巻いたのは戸隠ハジメだった。
会長の血と混じったのは、戸隠ハジメの血だった。
会長、それを返す相手は、もうどこにもいないんですよ。
会長のお手伝いを誓った可愛い男の子なんて、存在しなかったんです。
テルミット反応の炎の中に、戸隠ハジメのイメージも蒸発していった。
「俺はただ、予備のこいつを持ってきてやっただけだ」
ファル君が、新しいハンカチを手渡してくれる。
「ありがと」
ハンカチで涙をぬぐった。
サヨナラ、会長。
良い学校になるといいですね。
おしまい