見出し画像

1998/04/05開催『全国アーマード・コア公式対戦大会(ハイパープレイステーション杯)』関東大会 ~一参加者の記録と諸々~ 後編

大会予選:オペラシティに集う関東勢レイヴン達

アイザック・シティではない。
遂に大会前哨戦、予選の始まりです。
尚、直前に当時一緒にACをやっていた友人も当選していた事が発覚。一緒に現地へ赴く事に。
只、どちらのクラスに参加していたかを当時聞いておらず、今でも解らぬまま現在に至る。当時なら普通にオープンクラスを選んでいてもおかしくは無いからなぁ……どっちだったのだろう。

予選概要。自分は早朝組のAブロック。

予選出場者、スタンダードクラス128名。オープンも仮に同数なら256名。
当初の予定から2倍以上の枠数で迎えられた、3桁越えの参加者である【※】
(そして、この数の実に3分の2以上の方に落選通知が送られていたのだ……)
地味に自機のメモカを忘れた場合は初期機体で参加させられる旨が書かれているのがポイント。失格で無いのも面白いが、忘れて適用された方は居たのだろうか……。


【※】当初の予定人数と当時の別の方のレポートから、本戦は各クラス32名の計64名の参加と明記されている為、そちらに倣う言う形としているのですが、予選の方は合計なのかクラス別なのかは確証が取れていません。後述の予選の方式と数値や記述からの整合性を見て128名はクラス別と言う認識としています。
……なぜここで参加人数の整合性に悩んだかと言うと、これだと予選での参加人数は当初の倍所か、実に『4倍』になるんですよね……。
オープン参加者がスタンダードより少ない可能性は在れど、何というか改めて凄いなぁ……。参加人数128人の時点で大規模な上に+α(最高2倍)だもの。
フロムさん、ユーザーの熱意に可能な限り答えてくれたんだなぁ、と。


こちらが予選のブロック参加証。名前欄は本名表記なので隠しています。
機体名は私が『魔法騎士レイアース』が大好きだったのでそこから。
アニメ30周年と新作決定おめでとう御座います。
自分の機体構成は確かこんな感じでした。

1001B脚で緑ライフル(RFM118)、月光、背部6連ミサイル(S800-GF。通称:V6)位しか記憶として残ってなかったのですが、概ね合っている筈。ジェネも当時の自分なら銀(10000)ではなく金(XR)を使っていたと予想。
カラス脚でも『風』が使えるアセンでも無い辺りに、当時の自分の知識の疎さが伺える。デビガン? 何それ美味しいの??
ついでに乗り換え用機体を用意するなんて思考や器用さも無かった。

同封された会場の『東京オペラシティタワー』へのアクセスガイド。
当時のフロム本社が入っていたビルでもある。

改めて見ていて気付いたのが、ACVI特別ムックのAC部インタビューにて話題に出ていた『オペラシティの大会』は開催時期を鑑みて今大会予選の事を指していると思われる事。
話に出てくる『近くのデニーズ』もしっかり確認できる。
(個人的には、このムックが『徳川 一星=AC部の安達氏』に関してを公然と話題に出せる切っ掛けになったのも有難く感じる)

板倉:ぼくは忙しくて大会に出られなかったんですが、一番覚えているのは、オペラシティの大会に安達が出場した時に近くのデニーズで結果を待っていたことですね(笑)。

安達:各大会の優勝者が集まる大会があったんですが、その時ですね。すごく緊張して、あっさり一回戦で敗退してしまいましたが(笑)。対策されていたのかもしれないですね。

『ARMORED CORE VI FIRES OF RUBICON BRIEFING DOCUMENT』P.077 AC部インタビューより

この記述から、安達氏こと『徳川 一星』氏は予選で敗退していた様子。
因みに、当時の認定レイヴン且つ関東勢である『那猶』氏、『出雲 信』氏、『YOU』氏は互いに面識があった間柄なのだが、『徳川 一星』氏は同じ関東勢ながら一切繋がりが無かった為、情報らしい情報が無く長らくAC界隈ではキャラクター性を含めてミステリアスな存在として認知されていた。
もしこの時、徳川氏が予選を勝ち抜いていたら今とは違った未来が在ったのかもしれない、と思いを巡らせてしまう所。

『ビッグ・ザ・将軍』
チャンピオン唯一のタンクACである事に加え、その特異なキャラクター性にカラーリングを武者鎧に見立てる様なデザイン性等、一線を画す存在だった。
ポプテピピック『ヘルシェイク矢野』冒頭

しかし、現状でもAC部の一線を画したデザイン性と存在感の出し方に加え、現在もネタに『ビッグ・ザ・武道(「キン肉マン」出典の超人)』を用いられている辺りから『徳川 一星=AC部の安達氏』を今でもヒシヒシと感じとれる所ではないだろうか。
ヘルシェイク矢野初見時に、画像のビッグ武道館が出た時が一番盛り上がり、一種の感動すら覚えた元レイヴンが自分だけでは無いと思いたい。

……話を予選に戻します~。

Aブロック予選 座席表。やはり、本名表記なので隠しています。

自分はD1。初戦相手はH1。
先ずは向かい合った座席番号の1と2同士で対戦、その後に1と2の各勝者で対戦して最終的に16人のブロック参加者を4人まで絞るミニトーナメント形式。記憶が正しければ、2の方はH側が勝利して席替えはせずそのまま対戦を行った筈。
予選は見事に勝ち抜き、本戦へ進む事が出来ました。
(試合内容は、正直覚えていないのですが……特に苦戦はしなかった記憶)
対戦終了後は、本戦出場者を集めてスタッフから明日の本戦に向けてのミーティングを挟んで解散となりました。

そして当時は気づかなかったのですが、後々に座席表の記述通り座席番号A1が認定レイヴンである『出雲 信』氏であった事が発覚。
自分がA2かEに配置されていたら、確実に本戦出場は無理だったでしょう。
……あ、友人は予選敗退でした。

大会本戦:決戦はCLUB YELLOW

後述になりますが、会場に一人だけ招待出来たので予選敗退した友人をツレとして会場へ。遅れない様にと早めに会行ったのですが、既に会場前は結構な人だかりだったと記憶しています。

本戦会場である『CLUB YELLOW』までのアクセスガイド。
有名なクラブだった様だが詳細は不明。残念ながら2008年頃に閉店。
本戦概要。基本ルールは変わらず。

本戦は各クラス128名からふるいを掛けられた32名。合わせて総勢64名。
『128名の中から選ばれた32名』、震える表現です。
気合いを入れて会場にお越し下さい』の一文が何か可愛い。

ルールのオプション設定、時間『5分』・ステージ『セレクト』・BGM『OFF』は後の対戦会、公認大会でも良く見かけるスタンダード設定ですね。
表記されている様に参加証の半券が招待券として使えるのですが、前述の友人をツレに出来た理由はこれ。

本戦参加証(紛失中につき代理)。もし見つかったら差し替えます。
予選が本戦に書き換わった程度の違いだった為、この様な形に。
右側の切り取り線の先に招待状が付いていた。

そして、現地では当時のフロムの新作『SHADOW TOWER』体験会が併設で行われており、こちらもかなりの盛況でした。
こちらの体験会の様子は、当時のTV番組『GameWave』にて軽く紹介されていました。
AC大会には触れられず。まぁ、業界的には新作の方が重要よね。

会場には『Grip』(面倒が嫌いな人ことスティンガーのテーマ)のサントラアレンジ版が流れていた事を覚えています。
(後のAC2AAでは、こちらが作中で使われていましたね)

大会は先ずオープニングセレモニーから。
……正直な所、ツレの相手やら緊張やらでトーク系の内容は覚えておらず。
しかし、ここで一つ余興が。
『フロムグッズ詰め合わせ福袋争奪じゃんけん大会』が始まりました。
用意されたのは5袋。当たりの袋には前述のACガレージキット入りとの事。
これは負けられない!……先ずは前哨戦と勇んで挑みました。

……
………
結果、何と勝ち取りました!!
残念ながら目玉のACガレキは入っていなかったのですが、それでも非売品の販促グッズがギッシリ。
現在、手元に残っていたり解る範囲で紹介。

特製ボールペン

前半見出し画像や参加証の名前隠しでも使っているコレ。

ACの世界観に合わせた様な、ボルト&ナットなデザインが素敵な逸品。
個人的には『ネジペン』と呼んでいました。
当時から『フロム社員の頭のネジ』と言う仇名で呼ばれる事が多かった。
しかし、外れているから凄いゲームを作る、と言う誉め言葉扱いである。
後の変態企業呼ばわり以前から割とこんな調子だったりします。

何と『MADE IN ITALY』
写真撮影した時に知った20数年越しの事実。

因みにこちらのネジペンとは別に、当時配られたボールペンには一般的な使い捨ての物に会社ロゴのみと言うシンプルな物も存在しています。
こちらのボールペンも入っていたと記憶。

フロムロゴ入りポロシャツ

こちら、先日のYOU氏主催の大会『1stMOA』に着て行きました。
これを着て『私が企業(フロム)だ!』と叫んでみよう

落ち着いた雰囲気で、普段使いにも答えてくれそうな仕上がりの一品。
こちら、当時フロムの入社面接へ行った方から『面接担当の社員の方が着ていた』との話を聞いたので、社用としても使われていた物の様です。

ロゴ刺繍部分のアップ。

他、記憶にある物は『店頭販促用ACPPデモ映像ビデオ(VHS)』等が入っていました。当時のゲームショップ店頭で流されていたデモテープですね。
こちらも見つかり次第ご紹介したいなぁ……。

さぁ本戦開始!……(即落)

さぁ本戦開始だ!……と行きたいですが、タイトル通りでした。
いやぁ、文字通りの次元の違う戦いを見せ付けられ、一方的且つあっという間に負けました。本当にこれ以上言いようが無い位、ボッコボコでした。

悔しいと言う感覚すら生まれる間も無く、呆然状態で席を立ちふと横を向くと……

え……?

そこには自分の理解の範疇を超えたアセンの機体が居ました。
非常に強力とは言え、プラズマ腕ことXC65は扱い辛さもトップクラス。そこに弾倉まで付けた特化型……?? 困惑しながらその機体の戦いを眺めていました。
結果はその機体の勝利。無駄の無い最小の動きで回避を行い、正確無比のプラズマ腕の射撃……もう、当時の私には理解不能の出来事でした。
所謂『井の中の蛙』『お山の大将』だった当時の自分。それなりに自信が在った上に、予選は割と楽に通過してきてからのボロ負け。本来ならこれでACを止めてもおかしくはないレベルでした。でしたが、このプラズマ腕機体の勝利を見てこう感じたのですよ。
『ACにはまだまだ自分の知らない「何か」がいっぱい在るのか!』
先程の負けにもこう感じました。
『自分は単純に未熟だった。純粋に知識も腕も足りてなかった』
後はそんな感覚と噛みしめながら、ツレの友人とドリンクコーナーで会話しつつ終了まで会場をボンヤリ眺め過ごしていた感じでした。
いや、本当にこの後の記憶は、年の物忘れとは別で昔からボンヤリしているんですよね……。

さてさて、このHPS杯関東大会を制したのは、
スタンダードは『ザキ』さんの『ギーラ』
オープンはレイヴン名は不明ですが、機体名は『ゴッツマン』
となりました。

こちらがMoAチャンピオンアリーナでの『ギーラ』
機体名は解説文の『緋い単眼の黒龍』こと、
同じくフロム作品である『KING'S FIELD II』に出てくる黒龍ギーラから。
実は……
大会終了後のHPS内での記事。詳しくは補足編にて。
PPの頃なので、ACのプロデューサーとしてあの唐沢氏が会場に来ていました。
当時の私は知る由も無し。

大会終了後

それからは他のゲームをやりながら、合間合間にPPのアリーナで自主特訓を行っていました。空中斬りの特訓はこの時に良くやっていた記憶。
他に件のプラズマ腕機体の(解る限りで)コピーを作り、使ってみて悶絶したりもしていました。
そんな日々を過ごしている時に、先程のTV番組『GameWave』にてこんな映像が流れました。

そう、PSAC三部作最後のマスターオブアリーナ(MoA)の特報でした。
PP発売から一年近く経っており(PPが97年12月で、特報は98年10月末)、当時のスパンとしては間が長く、かなり驚いた事を覚えています。
特に冒頭、チラッとしか映っていないMoAのOP映像の綺麗さが強く印象に残りました。このPS1とは思えないクオリティー、変態企業の幕開けである。

そして発売後、あのプラズマ腕機体の正体を知る事となりました。

あ……!

あの機体だーっ!!
チャンピオンアリーナの一番上の人だって!? そりゃ凄ぇ訳だわ!!
そして、個人ネット環境もそこそこに出来る様になってきたその少し後に、『RNG』が『レイヴンズネスト・ゲ穴高地』と言う那猶氏が運営している最大手のACサイトと言う事を知り、足を踏み入れる事に。
そこから私のACライフの第二幕が上がる事となりました。

(個人的な)HPS杯大会編 ~終~


本当はもう少し余談や捕捉を入れつつ進めるつもりでしたが、既にちょっと多いかと思っていた前編の倍以上の文字数を費やしてしまったのでここまで。
只、大元のTwitter(現X)掲載分としては書き切っているので、これで一旦は完成と言う形となります。
更に次回と言う形で、後々知った情報を交えたよもやま話の予定です。
こうご期待!

情報の内容や自分が出せる範疇等、やれる限り精査はしておりますが、もし間違い等が在ればご指摘宜しくお願い致します~。
しっかり修正させて貰います。

いいなと思ったら応援しよう!