セクシャリティを強調することへの違和感
(初めてこの話題を文章にするため、勉強不足から表現が拙い点をご了承いただきたい)
私は女性で、まだ特定の女性を好きになったことはないが、自分のことはバイセクシャルだと今年から初めて認識しだした。ふわっとした感覚ではあるが、そうであるという意識を持っている。
5年以上前に、韓国のwebトゥーン「ようこそ305号室へ!」(ワナン著)を読んだことをきっかけにLGBTQに関する知識がグンッッッッ⤴︎と上がり、もっと知りたいと思うようになった。ありきたりな言葉ではあるが、未だにいわゆるマイノリティとして扱われることにずっと違和感を抱き、少しでもその感覚が変わっていくことを願っていた。(そもそも公表するかどうかも自由である前提で)
知識がついたばかりの当時は自分はヘテロセクシャルだが、LGBTQと同じような気持ちでそれぞれの自由を願い、常に情報を追っていた。タイに性転換手術に行くレポ、Tの著名人のブログ…(他には思い出せない)など幼いながらに様々な物を読んだ。なぜか強い興味(というと聞こえが悪いが)と当事者意識があった。というのも、昔から同性のアイドルばかりを好きになったりクラスの友達に対してパートナー的立ち回りをすることが好きだったことから、「なんとなくわかるな」という気持ちがあったからだと思う。
「ようこそ305号室へ!」を読んでから5年以上がたった今、当時と比べるとジェンダーや性的嗜好のみならず生まれや年齢に対しても、少しずつではあるが世間的な意識は変わったと思う。
しかし、ずっとモヤモヤしていたことがある。なかなか今まで掬い上げることができなかった。
(同性の友人と密着するなどしている写真と共に)「〜でも女が好きなわけじゃないから(笑)」、「好きなのは男だからね!(笑)」(文の中に「ちゃんと」が入ることも多々)
上記のようなキャプションに胸がチクチクとしてきた。もちろん本人らに他意はないが、同性が好きであると思われ気持ち悪いと思われるのを避けたい、対象として見てないので安心してほしい、というようなニュアンスで口に出す人が身近にまあまあいる。
自分がヘテロだと思っていた時も、バイかもしれないと思っている今も、「もし私のことを伝えたとしたら気持ち悪いと思うのかもな」などのように傷つく感覚がある。
世間の感覚が変わっていると思う反面、やっぱりまだセクシャリティを公表する機会があったとして、「私はいいと思ってる!」と謎の許可で返ってくる世の中なんだなと思う。公表してもしなくても、セクシャリティがなんだろうと、もし話すことがあったら「そうなんだね」が普通になるといいな。
思った以上に長くなったが、自分の振り返りと、ずっと掬い上げれなかった小さなモヤモヤを書くことができてよかったと思う。
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