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「趣」という日本の概念
(2022.09執筆)
1年間のスペイン留学を終え帰国後のある日。その日は中秋の名月と満月が重なる日だった。
たまたま友人と出かけていて都心にいた私は、ある光景を目にした。
多くの人が立ち止まり空を見上げ、カメラを月に向けていたのだ。
その光景を見て私は、奇妙とは言わないまでも違和感を覚えてしまった。
スペインにいる間に、私は何度月を見上げただろうか。
1つだけ確かな記憶があって、渡航したばかりの頃、日本の中秋の名月の日に1度月を見上げた。しかし記憶に残っているのはその1回だけだ。
もちろん何度も月を目にはしただろうが、記憶に残るほどに注視することをしなくなっていたのだろう。
不思議なことに日本に帰ってきてからは「上弦の月だ」「今日の三日月は細いな」など月を見、そして何かを思った記憶が複数ある。まだ帰国から2ヶ月ほどしか経っていないのにである。日本という土地がそうさせるのかもしれない。
月に見出す風情で思い出したことがある。
風鈴の音や蝉の声、蚊取り線香の香りや蛍の光に線香花火。
目には見えない音や香り、そして消えゆくものに風情を見出す日本の夏には趣がある。今風の言葉でいえば「エモさ」といったところだ。
海外は夏といったら海!太陽!などといったように日中の明るいイメージが強いように感じる。私のいたスペインは日が長く、夏は22時を回らないと暗くならないのだからなおさらである。
日本の夏の趣は陽が落ちた後にも多く見出され、むしろ夜が醍醐味と言っても過言ではない。「夏は夜」とは言いあて妙だなあなんて思う。
日本の風情や趣という概念はすごくこの国特有のものであると同時に、時には言語化し難い感覚レベルのものであることもある。しかし我々日本人は意識せずともこの感性を共有している。
日本人に生まれたからこそ、日本人としての誇りの1つとしてこの感性を大事にしていきたいと改めて感じた夏の名残をとどめる秋のある夜。