僕と中村北斗
2020年1月31日。あるひとりのJリーガーが引退した。
中村北斗。
彼は僕の人生を大きく変えた。
僕は元々野球が好きだった。
部活は野球部。
ゲームはパワプロ。
好きなチームはホークス。
他のスポーツはたまに観る程度。
ある日。学校でアビスパ福岡の無料観戦チケットが配られていた。
何試合もある中から1試合だけ選んで観に行けるらしい。
2006年。
ドイツワールドカップの年。世間はサッカー熱が高まっていた。
結果は振るわなかったものの、誰もがサッカーに注目していた。
僕も例外では無い。
「せっかくだし観に行ってみよう」
川口能活がお気に入りだった僕はジュビロ磐田戦を見に行くことにした。
試合当日。
スターを多く擁する名門ジュビロ相手だった事もあり、博多の森球技場は16000の人で埋め尽くされていた。
「Jリーグも雰囲気凄いんだな」
試合が進むにつれ、一際目立つひとりの選手が気になりだした。
「あのピッチを縦横無尽に駆け回っている22番の選手は誰だろう?」
貰ったマッチデープログラムに目を通す。
「22番。中村北斗。イケメンやし、名前もカッコいいなー」
彼のプレーが好きになり、彼を中心に目で追いながら試合を見ていた。
僕は当時まだボランチという言葉も知らなかった。
なぜあんなにも彼のプレーに惹かれたのだろう。
試合は強豪ジュビロ相手にも全く引けを取る事無く進んでいく。
均衡が破れたのは後半28分。
クロスボールに果敢に飛び込む。ボレーシュートでゴールネットを揺らしたのは中村北斗だった。
名門ジュビロ相手に優位に立った瞬間。
まさかの展開に博多の森が揺れる。
「凄いなこの選手」
試合は城後のゴールもあり、2−1でアビスパが勝利した。
アビスパの試合を観に行ったのは、実はこれが初めてでは無かった。
しかし心の底から面白いと思ったのはこの日が初めてだった。
僕は、アビスパと中村北斗の虜になった。
その試合の余韻から中村北斗を追うようになった1ヶ月後。
世代別代表で右膝前十字靭帯損傷という全治6カ月の重傷を負ったというニュースが飛び込んだ。
アビスパもJ2に降格した。
大怪我する前の中村北斗を見たのはこのジュビロ戦が最初で最後となった。
中村北斗のキャリアを大きく変えてしまったと言われる大怪我。
あの怪我さえなければ、やはりA代表まで上り詰めていたのだろうか?
アビスパも違った未来があったのだろうか?
本人も後に「最初に前十字靭帯を負傷したのは昇り調子の時だったので、あの怪我が無かったらどんな選手になったんだろう?と思ったことはあります」とコメントしている。
あのジュビロ戦の頃はキャリアでも最高の状態だったのだろう。
J2降格後。
あの試合以来アビスパがすっかり好きになった僕は、時々博多の森に足を運ぶようになった。
しかしピッチに彼の姿は無かった。
その年も半ばを過ぎたベガルタ仙台戦。
「彼が出場するかも知れない」
そう聞きつけ博多の森へ足を運んだ。
先発メンバーには22番中村北斗。
「またあのプレーが観れる」
そのワクワク感は一瞬で消え去った。
試合開始早々。山形辰徳との交代。
翌日の新聞には右膝内側半月板損傷。全治2ヶ月と書いてあった。
2007年シーズン最終節。
中村北斗はメンバー入りしていない。
「浦和レッズからオファーが来ている」
そんな噂の中、彼が居ない博多の森で中村北斗チャントが鳴り響く。
彼が残留してくれる事をサポーターは望んでいた。
翌年2008年。彼はアビスパの為に戦うことを選んだ。
しかし怪我の影響やチーム状況もあり、中々彼が思うような活躍が出来ない日々。
直前のトゥーロンには選ばれたものの、数年前は確実視されていた北京五輪代表からは選考漏れ。
チームの低迷。J1複数チームからのオファー。
「いよいよ今年こそは移籍してしまうかも知れない」
最後の機会かも知れないと思い、イベントに足を運びサインと写真を撮ってもらった。
初めてアビスパの選手に貰ったサインだった。
FC東京への移籍が発表されたのはその数日後。
より長くプレーする為にJ1でプレーしたい。
経営難に苦しむアビスパにも移籍金を残せる。
そういった思いからの決断だった。
その日から7年の月日が経った。
俺は熱狂的なアビスパサポーターになっていた。
2015年。
井原監督を迎えたシーズン。
ある噂が飛び交っていた。
「中村北斗がアビスパに帰ってくるらしい」
何年も経っていたが、彼は俺にとって特別な選手に変わりなかった。
そしてそれが実現した時。心の底から嬉しかった。
「また彼のプレーがアビスパで観られる」
そんな期待に胸を踊らせ始まったシーズン。
彼は右サイドバックのレギュラーを掴んだ。
チームの調子と比例して彼のコンディションも上がっていく。
ゴールやアシストが増えていく。
中村北斗はまたレベスタで輝きだした。
そして伝説として語り継がれる。
J1昇格プレーオフ決勝セレッソ大阪戦。
アビスパサポーターの記憶に刻まれた試合。
拮抗した試合を動かしたのはセレッソ。
玉田に先制弾を許してしまう。
アビスパが昇格する為にはゴールが必要だった。
しかしゴールを奪えないまま時間だけが削られていく。
「この素晴らしいシーズンが無になってしまうのか…」
たったひとつのゴールが果てしなく遠い。
重苦しい空気。
敗戦すらも覚悟し始めた87分。
中村北斗が低い位置で丸橋からボールを奪った。
左足で中原貴に展開。ワンタッチで坂田にパス。
坂田は時間を作る。
金森に縦パス。3人に囲まれる金森。
金森は倒れながらも必死に亀川に繋ぐ。
亀川のグラウンダーのクロスを選択
そのクロスは中央に居た中原貴に僅かに届かない。
「ああ…」
溜息が漏れるアビスパゴール裏。
しかしそんな中70mを駆け上がってきていた男が居た。
「北斗が居る!?」
左サイドでの攻防に目を奪われ誰も中村北斗を観ていなかった。
実は4-4-2にシステムを変更した後もSB亀川と共にオーバーラップを繰り返していた。
当時監督の井原さんは「4バックだぞ!分かってるのか?上がりすぎるな!」と指示を出していた。
失点したら終了。ごもっともな指示。
それでも中村北斗はボールが転がってくる可能性に賭けて、実に70mもの距離を駆け上がってきた。
角度のない状況で振り抜いた彼の右足から放たれたボールはサイドネットに突き刺さった。
「アビスパをJ1に昇格させる為に帰って来た」
その言葉を値千金のプレーで証明してくれた。
それと同時にこれが彼のキャリアでの最後のゴールとなった。
そこから2年……
古傷の影響。駒野友一とのポジション争い。
徐々に出場機会は失われていった。
名古屋とのプレーオフ決勝でも出番は無いまま昇格の夢は絶たれた。
彼は寂しげにゴール裏を見つめ続けていた。
そして彼は大好きなアビスパを離れた。
地元諫早に本拠地を置くV・ファーレン長崎で新たな挑戦をする事を決意した。
その2年後の2020年1月31日。彼は長崎で現役を引退した。
セカンドキャリアはアビスパU-18コーチ。
彼はまたアビスパに帰って来てくれた。
アビスパで沢山プレーしてくれてありがとう。
そして指導者として帰って来てくれてありがとう。
何より、俺にアビスパとサッカーがどれだけ魅力的か教えてくれてありがとう。
アビスパとサッカーと中村北斗のおかげで楽しい人生になりました。感謝しています。
16年の現役生活お疲れ様でした。これからも応援しています。
中村北斗はずっと俺のヒーローで唯一無二の選手。