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占いと預言のジオメトリー Ⅲ.ラオコーン

 ラオコーン像―――それは歴代のローマ皇帝からも愛され、全ての芸術の最高峰に君臨するのは絵画や装飾、詩作や音楽ではなく彫刻であると時の権力者に示してきた傑作である。
 叙事詩『イリアス』は語る、トロイアに運び込まれようとした巨大な木馬が、トロイアに破滅をもたらす災厄だと預言者ラオコーンは訴えた、と。 
 しかしかつてアポロンの怒りに触れたため、女神はラオコーンの目を潰し、化身の2匹の海蛇を遣わし息子2人と共にラオコーンを扼殺する。
 その彫刻の顕す預言者の――自身と息子か、あるいは滅亡するトロイアに向けてか、その両方か――悲嘆、絶望、叫び、それは彼の伝説を知らずともヒトの本能、あるいはヒトに刻まれた遺伝子に直接訴え掛けてくる。

 ―――そう、この石の塊に対する共感と共鳴は、人間に刻み込まれ、切り離す事が不可能な人間たる根源から湧き上がって来る―――

 そして、第三の物語を語ろう。

 ”T”、”R”、”D”、この3人は祖国独立とファシズムへの革命闘士として始めて出会った。
 人類は最初の大戦を経験し、その後休む間もなく世界にはファシズムと共産主義という名の2つの全体主義が一斉に広がり対峙し、否応無しに次の世界大戦ヘと歩みを進めていった。
 T、R、Dの国はファシズムの波に呑まれ、彼らはそれぞれの出身民族は異なっていたが、祖国独立を夢見て、ファシズムから祖国解放のパルチザン(抵抗レジスタンス)として邂逅し、そして意気投合していった。

 まず最も年長だったTはカリスマ性と実行力を持ったリーダー型で、常に人を惹き付けグループの中心に居た。
 常に弱者の話を聞き強者に我慢を頼んだ、それはTの計算や学んだ帝王学ではなく、素質の成せる業であった。

 Rは生粋の軍人であり闘士であった。どんな死地や危険な戦場、逮捕されても常に生き残る本能を持っていた。
 無口で、他の闘士達に比べて強靭な肉体や豪傑の雰囲気を持っていたわけでは無かったが、誰よりも危険を察知し、それを回避したり攻略する術を知っていた。

 そして最も歳若いDは生来の外交官だった。TやR、他の同志達の想いを形にして文面や交渉の俎上に描き出した。
 Dの存在は彼らが単なるテロリストではなく、解放のパルチザンである証しと支援を得るのに不可欠なものだった。

 彼らは既にファシズムに追い出され国外逃亡した旧政権に変わって、祖国を奪ったファシズムに抵抗した。
 そして大戦がファシズムの敗北に向かって行くと、今度は志が異なる他派のパルチザンを吸収、あるいは容赦なく攻撃・粛清して行って、T、R、Dの3人の所属するグループ(その頃既にTがリーダーとなってた)は勝利を勝ち取り、戦後の政権を樹立する事になった。

 Tが初代首相(後に大統領)、R、Dが副大統領となり建国された新国家は超大国となった共産主義国の、その衛星国群に属する事になったが、彼らは祖国の”本当の独立”を諦めては居なかった。
 彼らは終戦とほぼ同時に国の基幹産業を国有化し、翌年1月には社会主義の新憲法、更に翌年には計画経済を始めていた。
 T、R、Dそれぞれの出身地は共和国となり、一つの連邦を形成した。

 しかし勢力を伸ばす彼らは超大国の逆鱗に触れた。 
 共産国からなる衛星国群から除外され、軍事、経済の援助も無くなった。さらに強力なスパイ網を持った超大国はTに対し幾度も暗殺者を送り暗殺を試みていた。

 共産国からはじき出されたT、R、Dには新たな仲間が増えていた。
 穏やかな表情で眼鏡をかけ、R、Dと歳が近いことから纏め役のインテリとして間に立つエドヴァルド・カルデリという青年である。カルデリはファシスト独裁時代に逮捕と拷問を受けていたがそれを生き延び、その恐怖体験を微塵も感じさせない飄々とした語り口と臨機応変な判断能力で、大統領となったTだけではなく、身分の上下に関わらず頼りにされていた。

 カルデリの仕事は鮮やかで、T、R、Dの3人や政府各部署の役割分担を決め、あらゆる面の効率上昇と適材適所の配置を行った。

 Rは秘密警察の指揮を取った。
 パルチザン時代に鍛えられた危険察知の嗅覚は100%発揮された。Rは超大国や衛星国群から密かに送られてくるスパイ達を尽く看破し、処理を行っていった。刺客たちは大統領であるTの姿を見る事も適わず消えていった。

 Dは超大国と、更に超大国と敵対する自由国家との交渉に当たった。
 超大国はT、R、Dの新国家を裏切者とプロパガンダ戦術を展開していったが、徐々にそれは収まっていき、逆に自由国家からは超大国の防波堤であり、反抗のシンボルとして多大な援助を引き出した。

 Tは内政の全体を見る事が出来た。異民族の共和国を更に寄せ集めた連邦国家であったが、Tの弱者に厚い政策は、彼の生来のカリスマと指導者の素養も相まって、国家の一体感を生んでいた。

 全ては3人とカルデリの力で上手く行ってるように見えたのである。

 まず投獄されたのがDであった。
 彼は憲法で定められた社会主義、共産主義の経済そのものに欺瞞が有ると訴え始めた。富を平等にするのが共産主義の理想であるが、現実には富を集約する新たな特権階級創造システムである、と。 丁度その100年前に生きた、ジェレミ・ベンサムと言う学者と同じ結論にやっと達したのである。
 Dの意見は単なる自明な事実であった。完全な平等は神では無い人間には不可能な話であり、元々他人との比較が歴史や文明を生んできたのは紛れも無い事実だったからだ。
 Dは友人達や家族の忠告も聞かずに、社会主義憲法下の経済問題に関して書き続けた。
 TはDの逮捕を命じ、量刑は懲役9年となった。
 Dは投獄中、ミルトンの長篇「失楽園」のモンテネグロ語訳に没頭していたと言う。

 そして数年後、Rが失脚した。
 Rは、Dとは逆に中央集権化の強い政府と完全管理の経済を目指していたが、今度は現実が立ちはだかった。
 政府が計画的に物価を固定したり、あるいは配給制による燃料と食糧の管理をしても、結局は資本主義や市場制度からは逃れられなかった。
 政府の管轄外の闇市が立ち、需要と供給で物価が確定されていった。
 政府が安く物価を決めたり、あるいは配給をする度に実際の物価との差額は国の赤字に計上されていった。
 Rはそれでも強引な改革により計画経済を成功させようと、秘密警察を利用し盗聴を行ったがそれがTの逆鱗に触れた。
 Rは全ての役職を剥奪されて、田舎に籠もった。
 Rはカルデリの地方分権政策による国家の弱体を訴えたがTは聞く耳を持たなかった。
 

 Tの国家は経済のギャップを埋めていく為に、カルデリを中心に発案した地方分権と各地の権限強化、資本主義を取り入れた独自の経済体系、利益の自由配分などをシステム化していく。
 その新たな制度もTとカルデリは乗りこなして行った。
 そして1974年に独自のシステムとTが終身大統領である事を定めた新憲法が制定された。

 しかしその時点でTも全ての国民も気付いていた―――RとDの言っていた事は正しかった―――と。
 Tの指導者としての資質とカリスマ、そしてカルデリの調整力で体制は磐石に見えたが、明らかに地方に分散した権限は暴走を始めていた。
 各地で富のアンバランスへの不平の声が上がり、デモや暴動の予兆を見せ始めた。少数民族への権利も強化した事で、民族問題も持ち上がってきた。
 いずれもTが、国家の致命傷になる前に扇動者の逮捕と更なる改革の約束で火種を消す日々が続いた。

 最初に亡くなったのは、投獄や追放されたRとDではなくカルデリだった。
 翌年Tも世を去り、崩壊の流れを止められる人間は誰も居なくなった。

 3人の国家は分離独立の紛争を繰り返した、大国の介入も相次ぎ、更に民族浄化や虐殺も行われた。
Dは刑期を終えて海外に移住し最後まで生き残り、それら祖国の悲劇を全て見届けた。

 果たして―――
 トロイアのラオコーンの目が潰され祖国の終わりを見る事が無かったのは、僅かばかりのアポロンの慈悲だったのか否か、
 今となっては誰も知り得る事は出来ないのだろう。

拓也◆mOrYeBoQbw(初出2014.12.17)

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