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4月1日の誕生花は桜

本居宣長は「敷島の大和心を人問はば 朝日に匂ふ山桜花」と詠んだ。
“大和心”とは何かと問われたら、朝日を浴びる山桜を美しいと素直に感じる心だと答える、というこの歌。ただそんな純粋な日本人の感性を表現した歌のはずなのだが、太平洋戦争の最中は、日本精神、大和心の象徴とされ、若者たちに「華々しく咲いて散れ」と促すような意図に曲解された。そのため戦中派世代の中には、「軍国主義を彷彿とさせるから桜は嫌いだ」という人もいるという。
日本の誇るこのかけがえのない圧倒的な「美」が、苦く苦しい記憶とないまぜになって、その美から目を背けざるをえないカオスとアイロニー・・・。
戦争とは、なんと残酷なことをしたのだろうと、散る桜を眺めながら思いを馳せている。

* * * * * *

小学校5年生の娘は花見の帰り際、花を見上げてこう言った。

「一度にこんなにたくさん花を咲かせるって、ものすごいパワーがいると思うんだけど、なんでそんなときに光合成しないの?葉っぱ出てないじゃない?」
「ん・・・・・???」

一瞬、絶句した。
「おー、そうきたか・・・すごーい!」
塾の春季講習に通わせて受験勉強三昧だった春の最大のイベントである花見で漏らしたこの一言に、私は軽い眩暈すら覚えた。
娘の感性と、私にはまったくない理科的発想が身についていることにクラクラし、「負けた~」と思いながらも、なんとか母の威厳を保たねばと思いながらも、実につまらない、ありきたりな答えしか返せなかった。

「夏の間に茂らせた葉で養分を木にたっぷり蓄えて、それを使っているのよ」
「ふーん・・・」
「実をつけるときが一番大事だから、そのときに光合成のパワーを使うんじゃない?」
「ソメイヨシノって品種は受粉しても実はつかないはずだけど?」
「えっ・・・???」

完全に目が泳いでしまっている私を尻目に、しばらく花を見上げていた娘は、突然振り向いて言った。
「そうか、花が桜の一年の終わりなのね!葉が出るところから1年が始まって、花で終わるんだ!」
「・・・」
絶句した。その通りなのだ。

日本人が桜好きなのは、蓄えたありったけの力を振り絞って精一杯咲き誇り、見事な花で人を魅了した後、力尽きてはらはらと余韻を残しながら散っていく・・・。この凛とした潔さ、けなげさが好きなのだと思う。

娘はその「美学」を本能的に捉えたのだと感じた。
そんな成長を感じられたのも何とも嬉しくて、今年の桜はいつもの年よりさらに美しく、愛おしく感じられた。

* * * * *

帰宅すると、娘は記念に持ち帰った桜の一輪を眺めながらさらにこうつぶやいた。

「桜って、花びらはほとんど白なのに、木に咲いているときはなんでピンクに見えるんだろうって不思議に思ってたけどわかった!“がく”が赤色だから、遠くから見ると色が混じってピンクに見えるのね」

いやあ、ホントに参りました・・・。
母は完全に降参です・・・ってただの親バカですか???(*^_^*)

・・・10年前の花見の後の記