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エリック・カルメン、ビートルズを語る

米『ANTIQUES ROADSHOW INSIDER』誌・主筆のLarry Canale氏のご好意により、エリック・カルメンがビートルズのアメリカ進出50周年に寄せて2014語った年に語った思い出をご紹介させていただきます。
Canale氏は、エリック・カルメンのファンとしても知られる存在。取材は電話インタビューで行われたものです。
(この抄訳は、Larry Canale氏の承諾を得て掲載しています。無断転載・引用はお断りします)

●タイトル
The Beatles アメリカ進出50周年

●リード
50年前、アメリカのテレビの視聴者を釘付けにしたThe Beatles。
熱いファンはいまなおそのときの思い出を大切にしている。

●第一章

ちょうど50年前、1964年2月9日の夜-----。7300万人ものアメリカ人たちが自宅のテレビの前に座っていた。その晩のエド・サリバン・ショーのゲストは、音楽界で注目の的・The Beatlesだった。視聴者の中には、14歳のクリーブランドの少年、エリック・カルメンがいた。4人が『All My Loving』を演奏すると、スタジオは熱狂に巻き込まれた。カルメンは、その光景に惹きつけられた。
「僕は両親の部屋の床に座り、テレビにくぎづけになっていた。エド・サリバンが彼らを紹介して彼らが登場した」
カルメンはこう振り返った。
「女の子たちが叫んでいた。僕は美術のクラスで僕の隣に座っていた子がどれだけポールに夢中になっていたかを考えていた。その子は、まさにこのバンドに熱狂していた。それで僕は彼らを見ながら考えていた。『う~ん、僕ならこれができると思うな』ってね。」
 14歳のカルメンは、すでにクラシックピアニストとしての素養を身につけていたが、ビートルズの光景とサウンドがもたらした興奮は、ラフマニノフを脇に押しのけ、彼をロックンロールに駆り立てた。彼はギターとベース、ドラムの演奏を習得し、まもなくジョンとポールの作曲を熱心に学んで、参加したローカルバンドで、やがては自分のバンドを組んで自作の曲を演奏した。
 1070年代のパワーポップグループの旗手であるThe Raspberriesでは、カルメンはビートルズの色合いを呈した『Go All The Way』や『Over Night Sensation』を書き、歌った。ソロアーティストとしては、いまやスタンダードになっている『All By Myself』や『Never Gonna Fall in Love Again』、『Hungry Eyes』、そして最新曲『Brand New Year』がある。これらはすべて2014年3月にリリースされるCD「The Essential Eric Carmen」に収録される予定だ。
 カルメンは、自分の音楽の成功は、ビートルズを見たことに源を発していると語った。
「ジョン・レノンとポール・マッカートニーの組み合わせは、ソングライターとしてパーフェクトだった」と彼は言った。「知っての通りジョンは辛辣なソングライターだった。一方のポールはまさにPOPの申し子だ。2人のコンビネーションは目を見張るものだった。誰もこれ以上の組み合わせは思いつかない」。
カルメンはこう続ける。
「彼らはジョージ・ハリスンとリンゴ・スターという完璧なやつらを見つけてバンドに加え、交響楽のバックグラウンドを持つジョージ・マーティンという完璧なプロデューサーに巡り合った。しかも、ちょうどベビーブーマー世代が成人に達した頃だった」
カルメンは付け加えた。
「50年代と言えば、アイゼンハワー大統領の時代だ。Ozzie & Harriet、Fabian、Frankie AvalonにRicky Nelson・・・50年代の音楽界はエキサイティングなものではなかった。悪くはないが、ありきたりでダサかった。そこに、異国から、いかしたアクセントの長髪の本当にカッコいいバンドが現れたんだ。Pat Booneみたいなものでも、それまでにいたつまらないものでもなく、彼らの歌は活力にあふれた素晴らしいものだった。」
 疑う余地もなくこのThe Beatlesの評価 は50年を経た後もあてはまる。彼らのパワーは、たしかに若い世代が自分たちの音楽を育む上で、またもちろん記念品蒐集家たちの蒐集品の価値の前に、高くそびえ立っている。

“ANTIQUES ROADSHOW INSIDER” (Vol.14 Number 2 Feb.2014)より
 By Larry Canale

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