『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994)感想
ネタバレあり😄
『エドワード・ヤンの恋愛時代』(1994)を下高井戸シネマにて見てきた。
初のエドワード・ヤン。
私の周りの人々の間で圧倒的人気を誇る『牯嶺街少年殺人事件』(1991)は絶対見ようと思っていたが、まさか違う作品からエドワード・ヤンを見るとは。
私は見ている映画の時代とか国が偏りすぎて、そもそも台湾映画の優先順位は低いのだ。
『エドワード・ヤンの恋愛時代』の前情報は、「台湾映画」であることと「情報量多いよ〜」だけだったので、見る前から情報整理の脳を無意識に意識してたのか、全く情報が多いと感じなかった。
そんな前置きはここら辺にしよう。
結論
オールタイムベスト。
いや、全てが洗練されすぎ。美しい。どの画面でも、見惚れてしまう。
あと章立ても良かった。
登場人物、みんな好き。女性陣は特に、みんな好き。みんなかっこいいし可愛い。
うーーん。全然嘘かも。リアルにいたら本当に嫌いだと思うのはアキンとラリーかな。いや、憎めないけど普通に嫌いかも。フィルマークス見てたらアキンの評価高かった、何故。ラリーはカス。無理。
車に後ろから衝突してるシーン、あれ多分、10年後とかにも思い出して笑ってしまうと思う。あのシーン思い出すだけで心が明るくなる。
あの狭いコミュニティで人間関係が拗れていくわけだが、え、実際羨ましすぎる。何アレ。あんな拗らせるほど価値のある身近な人間がいるって素晴らしすぎる。
本当に羨ましい。私も早くアレに加わりたいんだけど。誰かにとって大事な存在で、誰かを揺さぶる存在って、情って、良い。
婚約解消しようが、最後エレベーターが開いてまた戻るとか(大号泣不可避)、結果はどちらでもいいの。ただ、お互いが苦しむほど深い関係や長い関係って良いな。
私はモーリーに1番共感していた。モーリーは周りに大事な人間がいるとわかっていても、あのツンケンした態度。非常に身に覚えがある。チチに対してのあの態度はね、チチが優しいからね、あれはうまくいくのよ。アレはもしチチを失っていても、モーリーは大事な友達じゃなかったって消化して終わりだと思う。私はそう。バーディのこと実際好きだと思うの。モーリーがあんな風にニコニコするの、やっぱり特別な感情あるよ。特別に好きな相手にはデレるよ。
新しい恋愛の形とか結婚の形とか、言ってるけど、結局根本に必要なのはお互いをわかったつもりではなく、コミュニケーションを取り続けることだと思うの。人間って変わっていくからね。向き合える対象であることが大事。だから喧嘩をたくさんしててもチチとミンの関係が個人的には良かった。てか表現として一国二制度結婚は面白くて声出た。
この映画って絶対、ここの撮り方が!!とかこの元ネタが!!とかたくさんの方がモリモリ書いてると思うから、私のオリジナリティを生産するとしたら自分の実体験との照らし合わせる、自分の感情を思うままに書くことだなって思った。だからレビューではなく感想を。
この作品に限らずね。
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