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アフリカへの想い
アフリカの友人が言った。
世界の人々はアフリカを、「貧しい」「内戦」「児童労働」「エイズ」などの接頭語をつけて語ってきたが、新たに「エボラ出血熱のアフリカ」「ボコハラムのアフリカ」という汚名が加わったと嘆いていた。
先進国の人々が、一事が万事のごとくアフリカを語り、アフリカに対して異常なまでの恐怖心を持ち、食わず嫌いのようにアフリカと関わることもなく、アフリカを避けてしまうのをとても残念に思う。
確かにアフリカは日本に比べれれば治安の面でも、感染症の面でもリスクは高い。
私はそれらのリスクに動じない勇敢さや高貴な志など持ってはいないが、それでも常に足も心もアフリカに向いてしまう。
この20年余りの活動で関わりあった人々、患者さんや職員たちが私を彼らの共同体の一員にしてくれているように思うから
彼らのそばにいたいないなあという思いである。
「アフリカ友の会のことはどうするの?」
「アフリカに骨を埋めるの?」
心配してくれる友人たちがいる。
人生は思うようにならないことはこの年齢になってからよく分かったが、人生は良い方向に向かって着地することも分かったので、将来のことはほとんど考えていない。
特にアフリカに関しては、計画を立ててもことごとく裏切られてきた。
それはアフリカが悪いのではなく、勝手に計画したり、思い込んだりしていた私が単にアフリカのことを知らなかったからだと思う。
あと何年アフリカに関わることができるか分からないが、アフリカのことを理解することなど到底不可能である。
だからこそアフリカに惹かれるのである。
今までもやってきたように、これからもやるべきことは、エイズウイルスに感染させないための活動、栄養失調児を生まないための活動である。
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