釣り1

Fishing と インターネット検索

 映画「楽園」を昨日観た。2時間を超える作品が扱うテーマは重く、実は観終わってすぐよりもその後に考えることが押し寄せてきた。
 当初は今日「冤罪」のテーマで書く予定だったが、今の知識では却って当事者、関係者の方々に失礼で控えることにした。

 これまでも冤罪事件は悲しいことに度々報道されている。けれども、当事者ではない私には何も事の大変さは理解できていない。只、報道によってそういうことがあったのだと事件の表層に留まっている。

今市事件

 今市事件を調べ直している時に上の写真に触れ、記憶が一瞬で蘇ったことには本人が驚く。納得いかない部分に疑問符が付いたままだったのだろう。
 けれども、遠い世界のことと封印にしてしまった。

 インターネットの恩恵は十分に感じている。少なくとも「あの単語の意味は?」「英語ではどう表現?」「この距離は?」「明後日の天気は?」こうした類に関してはとても効率が良くなった。
 だが、一歩踏み込んだものを調べようとする時のインターネットでの検索は要注意、本で調べるようには確実にデータに辿り着けない大海になる。
 ネットではまとめ記事=噂話が兎に角多過ぎる、それも匿名記事。自身が見てもいないことを、百歩譲って自ら検証もしていないことをネット上に自身の見解と見紛う形で残していく。インターネットを海と例えることは本当に言い得ている。これらまとめ記事はさながら岸に打ち上げれた漂流物。
 「今市事件」と検索する場合と容疑者のお名前を検索する場合は雲泥の差が生じる。如何に事件について本質を知ろうということではなく、容疑者についての興味本位であるかの現れだ。
 釣りについて詳しいわけではない、只、父が好きだった程度。その釣りを借りてネット検索をみてみると生徒らには説明し易い。
 釣り場、時間帯、道具の選定、餌の種類、これらは対象の獲物で変わってくる。ネット検索もしかり、只単語を入力するだけで確かに何かしらが際限なく並べられるが、自身が欲しい物とは限らないところもまた似ている。
 例えば外国のことは日本語で検索しても限界があるが、英語での検索は意外と早く調べたい処へ辿り着く。
 本を買う時のような慎重さがインターネット検索にも欲しい。

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