線香花火・おとなになったからこそ見える儚さの奥 刹那の刻
河口湖に二家族で遊びに行った夜、用意していた花火を楽しむ。
正確には甥っ子が花火に火を付けるのが上手に出来ず、私が単独火付け担当になった結果実は私が遊んだ花火は2本の線香花火だけ。
コテージの周囲はとても静かで、加えて、関東では望めない漆黒。
子もおとなも楽しめた夏休み終わりが近い花火だった。
甥っ子を外しおとならの会話は線香花火って紙縒りよりワラよね、の九州人発言に対し東京生まれのパートナーはどちらも遊んだが若干紙縒りかもと応戦。
線香花火が東西でその形が異なるのは今では周知だが、改めて調べ直すと現在ではこのワラスボの線香花火の製作は国内では筒井時正玩具花火製造所さん一社だけになったとのこと。だから、いつのまにか紙縒りタイプばかり目にするようになったのかと淋しい納得。
長崎のイメージは異国情緒が謳われ教会の多さが上がり易いかもしれないが、ヨーロッパの影響と同じように地理的に近距離の中国からも多くの影響が残されている。
精霊流しに見られる魔除けの爆竹はそもそも中国由来。
長崎のお盆では夕方から家族が三々五々お墓に集まり、墓所を清掃し家紋入りの提灯を飾ると子らは墓前での花火を楽しんだ。
我が家は墓前での爆竹は流石にしなかったがお盆の墓前で花火をすることに何も違和感なくこれは全国的なことと疑いもなかった。但し、婚姻で関東に来るまで。
そうした幼い時から線香花火は地味な存在ながらも在った。寧ろ、火花が豪勢に散るのが怖くて敢えて静かな線香花火は好んで遊んだ記憶がある。
線香花火は、だから、幼い頃から嫌いではなかった。変化ある小さな花火のきれいさは十分に分かっていた。
今にもほんの些細な揺れで落ちそうな火の玉を一秒でも長く持たせたくて手に持つ心境には子もおとなも大差ないのではないかしら。
その知らない内に誘導された精神集中の先に小さな火の玉から想像出来ない宇宙よろしくのダイナミックな世界が短編小説で展開していく。
牡丹から松葉の一番華やかな広がりのあとに散り菊になる世界は動の打ち上げ花火に対してどこまでも静でありながら裏打ちされた儚さを持っているのは日本的に見える。
見入ってしまう線香花火の小さな世界はおそらく年齢を問わず楽しませてくれるのだろう。今また大人になって遊ぶ時、あの頃のように「もう終わっちゃったハイ次ください」と線香花火の残数も気にしない無邪気な感覚の代わりに儚い線香花火に時の流れを感じ、重ね、今回のように僅か二本でもしばし楽しめるようになった。
この暑さがもう少し和らいで夏がその背を見せるようになった頃、今回知った筒井時正玩具花火製造所の線香花火を取り寄せパートナーと我が家で夏を見送りたい。