❖県外移動解禁を待って京都へ・③静寂の龍安寺
観光客あっての観光地。一観光客として出向いた観光地で今回何よりも求めたのはまるで二律背反のような観光客が居ない京都だった。
鹿苑寺の次に向かったのは龍安寺。龍安寺と云われて分からなくとも白砂の石庭で有名なお寺と云い換えると伝わるかもしれない。
桜でなくとも、紅葉の季節でなくとも圧倒的な緑の織り成す深さ。
ここ龍安寺でも、ほぼ貸切状態で時を過ごす。
雨は止むことなく降り続く為、傘を畳むのはこうして写真を撮る時だけだった。京都滞在時の天気を事前にチェックしレインハットとレインコートの準備のお陰で傘を一時畳んでも大丈夫な状態は保つ。
蓮池を回り、この石段に辿り着いた時は、おそらく裏切られることない期待に満ちていて一段一段上ることで石庭に近づく贈り物を開ける前の心境。
これほどの贅沢があるだろうか。
観光客は鹿苑寺よりも多かったが、それでも、時々こうしてパートナーと二人だけの時間が何度もあった。
ここに動画を差し込めないことが残念だが、近くに流れる水の音と鳥の鳴き声、そして、葉擦れの音。調和が取れたこの小宇宙は余計な物が無いように一見するが、計算尽くされたような白砂の庭は一時も同じ姿ではない借景があってこそ生きるとても満たされた75坪の空間。
今回訪ねた寺院で一番長く滞在した。
古の方々は此処でどのような一日を過ごしていらしたのかと想像するだけでも十分な時間が過ぎた。
消費と情報に溢れ追われ常に動かされているような現代人が知らない時間の流れ。姿無い、実態があるようで無い空っぽのSNSに振り回され見るべきものが何かも考えない現代とは違い、此処では対峙するものが表現としては辻褄が合わないが目を閉じても僧侶の方々には見えていたに違いない、と静かな石庭を前にして考える。
石庭の土壁、場所が変わると壁が存在感を増す。
高さ180cmの油土塀。遠近法を用い観る人の為に手前から奥へ幾分低く造られた配慮。そうした造形の蘊蓄よりも実際には永年の風雪に耐えた佇まいが白砂と相まって屏風絵のよう。
こうして改めて写真で振り返ると雨があっての龍安寺の絵だったとよく分かる。