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「時間」というご馳走に埋もれ

 現在の生活スタイルが過渡期の自覚は十分にあるものの、時として「こんなにも時間を楽しんでいいのかしら」と流れる時間に抗うことなくさらりと乗って日々を送っている。今まで手に出来なかったこうした拘束力がない時間は私にとってまだ「ご馳走」の一種だ。
 「急ぎの仕事は多忙な人に依頼せよ」の意味が今理解できる。
 多忙な人だから手一杯で出来ないのではない。寧ろ、彼ら彼女らは時間管理とbestの方法論を駆使してイレギュラーに対応する技量を持つ人が多く、当然追加の仕事を難なくこなしていく。
 勤務の頃は朝の準備で「時計を確認するそのこと自体」さえ時間惜しく、FMの流れをタイムスタンプとして身支度。流れる曲はさしずめ砂時計だった。
 その反動ということではないが、ほぼ締切がない生活は、ゆるり、ゆるりと過ぎていく。天候でその日の活動内容を見直す晴耕雨読に近い生活は心地よい。スケージュール記載が溢れていることが果たして自慢になるのかとも、今の生活で再考。
 週に二本は映画館で映画を観、自分の記録のためにこのnoteにUP。映画のペースは春以降今でも変わりはないが、中々記録をUP出来ない。
 春までは「今UPしなくては明日は(仕事に)疲れて出来ないかもしれない」と深夜になろうとも記録をしていたが、今は追われない時間の中で、ある意味困った状況に置かれている。観た映画が溜まっていく。
 もし誰かがUPを待っていてくださればもう少し頑張れるものを、こうした閉じた一人作業は難しくなる【溜息】自分に鞭打たねば!

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