音の輪郭
今、窓の外で風が揺らす葉擦れの音が聞こえる。今日は一日中風が強く作業の手を休めた時にその風の音が聞こえると云うより吹き込んできた。人は時々音を確認しようとしてその音の方を見るが云うまでもなく音は見えない、また発生した場所、過ぎた場所を確認するに過ぎない。本当は目を開けて音を追いかけずに「目を閉じる」方が音は掴まえられる。まるで耳にはswitchがあるようでON・OFFの切り替えで音をaroundにも或いは聴きたい音だけを聞くことも可能だ。小さな耳が繊細な精巧さを持つことを人は日々の忙しさの中で忘れてはいないか。
音楽で耳を塞がずに歩いていると、映画2008年「奇跡のシンフォニー(August Rush)」のように音が溢れている当たり前のことに気付く。その音は残念がら言葉では表現し辛く、寧ろ音符の方が同じ音同士情景を伝えてくれそうだ。銀座の和光傍を歩いている時に時刻を知らせる鐘の音が聞こえた。私は無意識に「キーンコンカーンコン」と翻訳していたのに対し、後ろを歩く幼稚園前であろう幼い子を連れて歩く日本人ではない父と娘は鐘の音に合わせ「ding-dong、ding-dong」と歌うように合わせていた。思わず微笑んでしまった、本当にお国で同じ音を耳にしても表現が違うのだと。音を表す言葉は相手を択ぶ記号だ。