許せるカロリー vs 許せないカロリー
輪郭がぼやけかかった躰に活を入れたくて意識して歩く・階段を上ることにしてそろそろ最初の目標二か月継続達成が近付く。
この二か月という数字も Sirtuin 遺伝子を目覚めさせるために必要な時間と云われていることから三日坊主をはるかに超えて目標に設定した。
現在は様々なウォーキングアプリがあり歩きに楽しみを加えてくれたことは良いのだが、アプリの殆どが一日一万歩呪縛から解かれていない為につい本来は一日に8000歩程度で良いところをポイント欲しさに歩いてしまう日々になる。
幾つかのウォーキングアプリを併用している中、歩いた歩数に見合った消費エネルギーを出してくれる余計なお世話的なサービスが付いているものがある。「数字なんて!」っと軽くかわせる体質ならよかったのだが、私はダメ。ジムでのランニングマシンでもこれは同様。
そうなると、自然と食生活が制限を受けるようになった。
勿論、度を越さなければ健康上は良いことである。
今夕も、パートナーと食事の相談をしながら私には許せるカロリーとそうでないカロリーがあることに笑われてしまう。今日は、天候も今一つで外出しなかった。家でもエアロバイクに乗りもせずゆるゆると休日を過ごした日には、ほぼカロリーだけのpizzaは(好きだけれど)許せないカロリー、となる。
そもそも只痩せるだけための節制をする気はない。ほんの少し自身の良好な体調からズレ始めていることを修正したいだけ。
それでも、もし他者の目がない環境であればどうなのかと考えてしまう。
これほどストイックには体重や体脂肪に気がいかないかもしれない。習慣になってしまった購入した品のカロリーチェックなど悲しい性(さが)だ。
美味しいものを笑顔でいただき生きていることを楽しむ姿も(当分私にはできそうにはないが)素直に羨ましい。
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