壱岐を訪ねる二泊三日・小さな島に150を超える神社を持つ島:②神話の島・歴史の島
神奈川県川崎市よりも面積がせまい壱岐の島に神社庁登録されている神社だけでも150以上の神社があるそう。島内に散在する大小ある神社や祠を数えると1000近くになるとも言われている。*この数字は壱岐市郷土研究所開設の山口麻太郎氏の論文による。
確かに、人口密度でいう神社数は圧倒的だ。
最初は小島神社だけが主だった来島の目的で他にはそもそも何があるのか十分な知識はなかった。
詳細な壱岐旅行計画を立てていく中で尋常ではない神社の存在数はどうしてこの数がこの島に必要だったのかと自然と興味をそそられ、結果的に神話の世界ものぞくことになった。
『古事記』国生み神話の中で伊邪那岐(いざなぎ)と伊邪那美(いざなみ)の夫婦神が作ったと言われる8つの島の内、淡路、四国、隠岐、九州に次ぐ5番目の島として伊伎嶋・いきのしま(壱岐島)が生まれたと言われている。
その後、対馬、佐渡、本州が生まれて大八島国(日本の原形)となる中で他の島が全て擬人化されているのに対し、壱岐だけが天比登都柱(あめのひとつばしら)──神々が行き来するための、天と地をつなぐ1本の柱であると記されているそう。
一方、魏志倭人伝では「一支国」が壱岐にあたるとと考えられている。
史書の中にも記載されるように古くから大陸と日本の重要な中継地点として栄え、教科書でも学んだ文永の役戦場にもなった地。
神話の時代から特別な島であったばかりでなく、弥生時代~古墳時代初めの遺跡も残し歴史の島であることがうかがえる。
“一村一社”であった神道の原風景がそのまま残っているような趣が実際島内を車で走っていると感じられた。
明治末期には全国で神社合祀政策