貧相な日本語表現
様々な場で自分ではない人に何かを伝える時、相手が理解してくれる有効な言葉を用い先ずは伝える努力が必要と考える。しかし、ネット配信のニュースの中では契約社員的な大きな括りの記者もどきの人が溢れ、そのナルシストの文章に疲れる。
サブスクと言った時に、何パーセントの人が即脳内で日本語に変換しているのだろう。それが、省略されずサブスクリプションと表記されても怪しい限りだ。subscriptionという言葉は、本当に日本語では言い換えられない言葉なのかが疑問のまま、単語だけが歩いている人の文章を読む。
英語をそのままカタカナ表記の使用では、日本語に取り込めず消化不良のままと変わらない。
借り物のカタカナ英語が増えるに比例して日本語の世界は表現の展開がなくなり、今の日本語は時代を自国の言葉だけで操れない哀れさ。
そもそも公僕の筈である役所から発信される書面自体がカタカナだらけの有様でご高齢の方々に意味が通じているのか不明状態が続いている以上、下々が使う言葉は押して図るべしなのか。
サブスクに限らず四音で省略される言葉がとても多い。仲間内、業界内だけで通じる符号ばかりでは、これもまた日本語の弱体化に一役買っている。