発想の転換と試験的な日々
インターネットの恩恵で欧米の政治・市民生活がリアルタイムを知ることが出来る。また、SNSのお陰で政府の取り繕った外交用姿ではない現状(市民生活)も知ることが可能だ。欧米の現在進行は日本の一か月先の見本。
確かに行動が制約されることは辛い。だが、辛いことの原因全てではないのではと考えてしまう。
発想の転換を用いるならば:
・テレワークを強引に実践できる機会
・予備校だけでなく大学での遠隔講義の実施
・商店18時閉店への我々の対応
・夫婦間で試されている定年生活シミュレーション
・恋人らもある意味試されている会えない時間
・外食頼りだった人の食生活工夫
・スポーツクラブだけが躰を鍛える場所ではなかったことを知る機会
・本当に繋がっている人が誰かふるいにかけられている
こうした事柄を試験的に日々実践できることの意義は大きく、嘆くばかりの日々ではない筈。
他人からの指示で動き続けることは辛い。
購入したい品が誰かの「自分さえよければ」の結果で手に入らない日々も、ボディーブローのように効いてくる。
ここでも、見方を変えましょう。
先に書いたように欧米の様子を見る限り楽観はできないことを認めること。その結果、政府が細切れに様々な制約解除の期限延長を発表してもその度に裏切られることはなくなる。
本当にその品は必要なのか、代わりになるものがあれば無駄に危険な空気を吸いに行かず家で身を守ることが可能。
皆が同じように見えない敵と戦っている事実を共有し、もっと心に余裕を持てないだろうか。
この春、教え子が看護師として社会に出た。あまりに過酷な戦場のような世界に足を入れた。身を守っているかしら、精神的ストレスに参ってはいないかしらと、心配でならない。
私たちの理性の元で抑制した生活が、医療現場を助けることはもう何度も云われている。見えない人、会ったこともない人を助けている行動に繋がっている今を再認識したい。
視線を少しどころか、季節二つ分くらい先にもっていくことで期間限定のこの生活を乗り越えられないものか。