「ラスト・ディール」
原題:Tumma Kristus
監督:クラウス・ハロ
制作国:フィンランド
製作年・上映時間:2018年 95min
キャスト:ヘイッキ・ノウシアイネン、アモス・ブロテルス、ピルヨ・ロンカ
邦題には「美術商と名前を失くした肖像」とサブタイトルが付けられてしまった。商才には欠く美術商がオークションで希少価値のある絵画を見つける。愛する人たちに自分の能力をもう一度証明しようとする美術商の物語。
オラヴィがオークションハウスで見かけたのは、一枚の肖像画。その時点では肖像画について深くは分かってはいなかったが、少なくとも周囲は絵の価値を把握していなかった。再起をかけた彼は執念をも賭けた形で金策は考えず落札する。
絵画の場合も多くの贋作が存在するために絵そのもの評価以上に人は本物か否かを絶対視する。絵画の表面は、或いは裏にある日付とサインの意味は絵を金貨同様の資産と考える人には尚のこと大きい。
映画作品の中では、このサインがないことでミステリー要素を加えた。また、そこに長年疎遠だった家族関係を絡めていく。
元々、日本が勝手につける映画タイトルはミスリードばかりで不要な為にほぼ参考にすることはない。
だが、今回ほど原題を知り作品解釈が全く異なったことは初めてだ。
決して、疎遠だった家族との復活、孫と解き明かすサイン欠落の過程が話の中心ではない。
原題が「ダーク・キリスト」と知り、求心力がどこにあるのかまで変わってしまった。
オラヴィがイリヤ・レーピン作ではないかと云われるキリストを見つけたのではなく、キリストを必要とするオラヴィの前にキリストが現れた。偶然ではなかったのだ。作品の中でも云われるように聖画には烏滸がましくて描いた人の名を記さない。聖画をオークションで欲望の対象とするところから実は間違っていた。
オークションで落としたものの金策が上手くいかないオラヴィ。だが、最終的にこの肖像画キリストが行くべき所に渡っていく。必要とする人のところへ届く、それは救いであり目的だったのだろう。
そう勝手な解釈をしたのも、監督が神父になろうとされた過去があると読み、私の勝手な解釈もそう間違ってはいないのではないかと考える。
フィンランド作品の為、言語全くも分からずスクリーンの絵だけが頼りだった。加えて、俳優の方々も知らないことは結果的に余計な情報がまとわり付かず素直に観られた。
★★★
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