「変わらないこと」へ費やすエネルギー
現状とは違う事(もの)への変化にエネルギーが要ることは殆どの人が経験済みで納得してくれる筈だ。
同じように「変わらないこと」つまり「現状維持」にもエネルギーは必要となる。「変化がないこと」が equal「進歩がない事」と決して常に同意語ではないからだ。タイトル写真はポルトガル:エストレモス(Estremoz)に在る城内の階段に沿ったアズレージョ。この小さな町は中世の城や城壁が残る観光としての「上の町」と生活の場である「下の町」と簡単に線引きできるほどの規模。(*マガジン「Portugal」24.Estoremoz 参照)13世紀から変わらないと言われるが、この町の人々はある時点から観光という経済的な理由が背景にあったとしても「変えない」ことを択んだからこそ、そして、その維持のために歴史と共存の努力をしてくれているからこそ、今こうして町を訪れた人は時間を経た物に触れることが出来る。
今夏、三度目の宿泊となる(鳥取)三朝温泉の木屋旅館にある源泉溢れる温泉の一枚。7月初旬に8日間お世話になった。明治元年創業、建築物は指定登録有形文化財。旅館全体は増築を重ねながら明治から昭和の足跡を館内に残している。上記の地下にある温泉の壁のタイルは大正時代の物。
無駄を削ぎ落として美しい。
訪れた時期は大正の大改装以来の工事中が行われ、宿泊者も工事の影響が及ばない部屋を手配されていた。
手を入れるとしても旅館全体の趣まで変えるような色が塗り直されるでもなく、寧ろ「磨き直す」ようだった。オーバーホールに近く旅館のパーツのメンテナンスがなされていたと伝えるほうが良いかもしれない。
もしリニューアルと称して館内から明治、大正、昭和の色が観賞用的に形だけとなり、息遣いが消えてしまうと私はこれまでのように利用するだろうか。
人間の骨が実は新陳代謝で日々壊し再生しているように、変わらないように見えている世界が実は劣化しない為に奮闘している。
それは物だけではなく人に於いてもだ。先週観た映画でふとそうした事を考えさせられた。これは提出強要がない「変わらないこと」の自由考察、大人のささやかな自由研究。
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