「婚約者の友人」
原題:Frantz
監督:フランソワ・オゾン
制作国:フランス・ドイツ
製作年・上映時間:2016年 116min
キャスト:ピエール・ニネ、パウラ・ベーア、エルンスト・ストッツナー
血の気を失った顔に生気が戻るように幾つかのシーンがモノクロからカラーになる。それはとてもシンプルな法則なのでおそらく大概の人は気が付き、また、気が付くからこそ効果的な色彩の変化だった。
久振りにモノクロのスクリーンを観たが違和感がない。普段、様々な色に囲まれて生活していながらも「削ぎ落とした」風景を観ているようで、寧ろ、色に惑わされず「光と音」の世界を楽しむ。
映画タイトルに使われているシーンは、まるでモネの「草上の昼食」が再現されたように美しかった。
この一枚でさえ映画のワンシーンというより額縁に入っている作品のよう。
第一次世界大戦で婚約者を亡くした彼女は彼が眠る墓地で外人の男性を見かける。ミステリアスな展開に互いの嘘を重ねながら話は進む。
フランツがフランスで過ごしていた時の友人だと名乗りフランツの実家を訪ねるアドリアン。当初は父親から頑なに訪問を拒否される。
第一次世界大戦後の時代背景としては致し方ない。敗戦後の賠償要求では現実的提案だったイギリスに対してフランスは憎しみをそのまま政治に持ち込んだかのような巨額の賠償要求は矛盾を内包しているとも云われた。ドイツがその賠償を支払うためには産業生産力の回復・拡大が必要とされ、これが第二次世界大戦の引き金になったことは歴史に残る。
この映画の中でもドイツへ訪ねてきたフランス人アドリアン、また反対に映画後半フランスへアドリアンを探しに行くドイツ人アンナが受ける憎しみ合う故の差別の視線は国は違えど同じだ。
古典的なメロドラマではあるのだろう。殊更謎めいているわけでもない。寧ろ絵の綺麗さだけでも魅せる。
映画の作りや俳優の演技、脚本等つまり映画そのものを楽しむのが常なのだが、今回は珍しく描かれたアドリアンの自己欺瞞が紙で切った指先の傷のように常に引っ掛かり映画鑑賞を邪魔した。描かれた一男性に過ぎないと解っていながらも彼の行動が一々気に障る。
相手を思い遣る行為としての謝罪に見せて、実は自身を宥め、言い訳するパターンはこの映画に限らず現実にも多い。
端正な顔立ちでここまで観る人に不快感を与えたピエール・ニネは、つまりはいい演技をしたとも云える。
メタファーとして使われるマネの「自殺」。マネの多くの作品群において殆ど触れられることがない「自殺」を敢えて監督が択び、そして、この絵について役者に多くを語らせない。観る人で解釈が別れるが、テーマである「嘘」を考えると導かれるところはそう違わないかもしれない。
★★★☆