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坂本龍一 | 音を視る 時を聴く:東京都現代美術館

 音楽、という言葉。
 慣れ親しんだ言葉でありながら深い意味はと問われると、即答に不安を残す。
 以下は調べていて出会った面白い一説。

「言と音」
「楽」

 先ず、音は「口から出た声」を意味する会意文字。
 元々は「言」という漢字の下の「口」が、神様への祝詞を入れる器を表現。その祝詞に対しての神様の答えが「口」の中の横棒で表現されている。
 については、神事の際にどんぐりをつけた木を楽器として鳴らしていたことから生まれる。の旧字は、旧字体の「白」の左右にある「糸」の上半分はどんぐりを繋げていた糸飾りだそう。
 つまり、とは「人や神の声」。
 は「楽器の音」を夫々表現。

 単に音を楽しむという言葉ではなく、どの人種にも祈りと奉納にまつわるものが太古からあるように実はその歴史はいにしえから脈々と続いている。
 それを考えると上の説も否定は出来ない。

 今回、音を視る 時を聴く とあるように展示から導かれること、気付かされること、正されること等が多々あり興味深い時間を過ごす。

先が見えない列

 東京都現代美術館で開催中の 坂本龍一 音を視る 時を聴く
 美術館が上野立地ではない分、若干鑑賞者は少ないかと予想していたがやはり都内開催である以上その多さは変わらなかった。敢えて平日のランチ後を狙ったが事前チケット購入であっても館内に入り切れない外の後列から並び始め入場に約50分待ち。久しく行っていないディズニーランドを思い出す。

50分待ち

 チケットはオンラインで日付指定で購入。しかし、当日はこの人数にも拘わらず当日券販売の意味が理解出来ない。日付だけではなく館内の展示内容を考慮するのであれば時間別入場さえ必要だった。

幾つもの映像パターンが投影  展示 6 < async-immersion tokyo > 2024

 基本、視覚・聴覚フル動員状態で集中することに決めていた為ほとんど写真や動画を撮らなかった。そもそも美術館では撮ったところで正確な色彩コピーからは程遠い、と。
 この <  async-immersion tokyo > 展示の時は別々に入館した友人と時間をそろそろ合わせようと待ち時間があったことでようやく撮った数少ない一枚。

展示 8 < LIFE fluid, invisible,inaudible…2007 >
展示 8

 外出時の雨と在宅時の雨は明らかに雨に対する人の向き方が異なる為に、その受け取り方も当然異なることが多いだろう。
 室内であれば先ず濡れる心配がない。
 濡れることから解放されるからか雨の降る様子を静かに眺め、時にその雨が奏でる音を聴こうとするのだろうか。だが、雨降る中であっても傘を打つリズミカルな雨音に楽しくなることはある。
 雨の表情は多彩だ。
 展示には雨に関するものが幾つかあった。
 私は雨の音をメロディーとして聴くことがあったかしら、とふと考えた。
 メロディーの固定観念に縛られていた昔、ジョン・ケージの曲を初めてコンサート会場で聴いた時を思い出したりした。
 帰省や旅行時、基本的にあまり訪れる機会が少ない場所は意識して音を拾う私だが、外出時の多くはイヤホンで耳を塞いでいる。
 自然の中だけではなく街中にも単に騒々しい音が溢れるているばかりではなく、様々なメロディーが意識されることを待っている。

< LIFE-WELL TOKYO > 霧の彫刻 #47762 2024

 最終企画展示に近い 9 アーカイブ は坂本氏の頭の中を勝手に不躾に覗いているようでメモをはじめとした手書き類は読むことを避けた。何冊か手元にある彼の著作物で私は十分。

夕刻間近の館内

 ほとんどの作品が幾つもの展開を持つためにもう一つ、もう一つ違うバージョンをと観ていると中々先へ進めなかった。
 会期中にもう一度、音を視に、時を聴きに行きたい。

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