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「フェラーリ」

原題:Ferrari
監督:マイケル・マン
製作国:アメリカ・イギリス・イタリア・サウジアラビア
製作年・上映時間:2024年 130min
キャスト:アダム・ドライバー、ペネロペ・クルス、シャイリーン・ウッドリー、パトリック・デンプシー

「1957年、夏。イタリアの自動車メーカー、フェラーリの創始者エンツォ・フェラーリは激動の渦中にいた。業績不振で会社経営は危機に瀕し、1年前の息子ディーノの死により妻ラウラとの夫婦関係は破綻。その一方で、愛するパートナー、リナ・ラルディとの間に生まれた息子ピエロを認知することは叶わない。再起を誓ったエンツォは、イタリア全土1000マイルを走るロードレース“ミッレミリア”にすべてを賭けて挑む――。」*公式ホームページ

サンカタルド墓地 

 作品は業績不振のフェラーリ立て直し3か月を描いている為か、家庭の事情については詳細が語られない。それでも24歳で病魔に倒れた愛息アルフレードの墓参りシーンが何度か作中差し込まれる。エンツォ・フェラーリは愛息の元に来ることを日課にしていたそう。
 この墓所、息子の前だけで見せる悲しみと人間的な感情。
 家族をそれも跡継ぎの長男を失ったことは決して他人には見せることがない埋められない喪失、上書きで消すことが出来ない喪失。この喪失感をレース場での冷徹という鎧で覆い隠していたように観えた。
 夫婦にとって愛息を失うことは喪失とこの言葉では収まらない虚無感があったに違いない。それは夫婦共有の悲しみであった筈が夫婦間において修復不可能な溝を深めていく姿に変わり作品中では諍いが描かれる。

フェラーリが全て

 監督マイケル・マンはフェラーリのその美しさに惹かれて長い熟成(熟考)期間を経て作品を完成させている。「フォードvsフェラーリ」2019年では製作総指揮に携われていたのであれば、当然、今作はフェラリーが勝利者としての主役になることに納得する。

ミッレ・ミリア

 「フォードvsフェラーリ」の中でもフェラーリのマニアックな姿が描かれていたように、彼はレースで車を走らせるその為の資金として車を売る。
 レースで周知の勝利を得て自慢のロードカーを売り、その資金でレースに勝利する。レーサー出身のエンツォ・フェラーリにとってレースが全て。
 だから、なのか他にも原因はあるだろうが高級車といえ年間98台の販売数では斜陽になっても仕方ない。
 経営も家庭も歯車上手く回らない中でミッレ・ミリアに参加する。

街中を走るミッレミリア
都市もレース会場

「1927年から1957年の間にイタリアで行われた伝説的な公道自動車レースで、イタリア北部の都市ブレシアを出発して南下しフェラーラ、サンマリノを経てローマへ。更にローマから北上してブレシアへ戻るというルートで、イタリア全土を1000マイル(イタリア語で mille miglia = ミッレ・ミリア)走ることから名づけられた。」*Wikipedia引用

圧巻の臨場感

 作品を観る前に僅かに得ていた情報は車に関する音は全て実音に拘ったということのみ。
 レプリカといえ、フェラーリ335Sフェラーリ857Sマセラティ350Sメルセデス・ベンツ300SLがテールトゥノーズ、サイドバイサイドで贅沢にレースを盛り上げていく。
 映画と承知していながらも無防備過ぎる街中、両サイドに居る人の間を尋常でないスピードでの走行は怖い。

エンツォ・フェリー演じるアダム・ドライバー

 この数年では ハウス・オブ・グッチ パターソン で演じるアダム・ドライバーが好きで私にとってフェラーリとの組み合わせはベスト。
 ポスターで見る彼がどうしても知っているアダム・ドライバーに結び付かなかったのだが、作品中の少ないながら笑みを浮かべるシーンや声は確かに彼だった。

エンツォ・フェラーリ

 約20歳上のエンツォ・フェラーリを演じているアダム・ドライバーはどこまでも容姿を寄せていく形は取っていなかったが、十分に彼の思いを体現していた。
 レースに賭ける熱情に対して、私生活は愛息を失っての埋めようがない喪失という冷えた世界は相反しながら1957年のエンツォ・フェラーリを形作っていたよう。加えて、レースでの事故が死と直結している悲しいセオリーを受け入れなくてはレースは成立しないのだろう。

撮影場所

 エンツォ・フェラーリが愛したモデナで実際に多くの撮影がされている。
 ペネロペ・クルスは晩年臥し部屋から出ることがなかったというラウラが過ごした部屋に訪れたそう。その壁紙に彼女の心情を見たと語っていた。
 ペネロペ・クルスはイタリア語も堪能な女優であったのにそれが生かされなかった。とてもイタリア色が強かったにも作品にも拘わらず、言語が英語だったのは残念。
 ラウラが彼の愛人との生活に妥協線を引いたのは自身の崩壊を守る為だったのではないか。愛息を失った悲しみは夫婦に差はない。彼が愛人に逃げたのに対し彼女は一人でその孤独を抱きしめるしかなかった姿は辛い。
 
 フェラーリの美しさを十分に楽しんだ作品と同時に、多くは語られなかったが夫婦の悲しみと孤独が描かれた作品でもあった。

★★★★

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