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「ローマ法王になる日まで」

原題:Chiamatemi Francesco - Il Papa della gente
監督:ダニエレ・ルケッティ
製作国:イタリア
制作年・上映時間:2015年 113min
キャスト:ロドリゴ・デ・ラ・セルナ

 この邦題では極端に観る人を限定しないかと心配になる。
 私自身はカトリック教徒で興味あり映画館へ赴いたが、カトリックでなくプロテスタントの方々はどうであろう。(キリスト教と一括りにされるがカトリックとプロテスタン諸派とは違いがある。)プロテスタントの方々がどの程度興味を示されるのか、寧ろ仏教徒他の方々のほうが異文化という対象で興味を持たれるかもしれない。

 システィーナ礼拝堂の煙突から出る煙が白煙か黒煙で教皇選挙の結果が出るコンクラーヴェの様子はニュースには流れる。でも、その受け止め方は当然様々だろう。ダライ・ラマ14世のお姿をニュースでお見かけするがだからといって私はチベット仏教のことは殆ど知らないことと同じに違いない。
 只、圧倒的に全世界における信者数が桁外れである為に法王の言動は重い。
 かなり昔に昭和天皇が映画「太陽」で描かれた。勿論、日本人監督ではなく他の国(ロシア)である。日本人としては描いていいの?許されたとして「どこまで」描けるの?という疑問が生じる。
 この映画でも同じようにローマ法王をどう描かれるのか不安だった。

 製作国はイタリア。多分外さないだろうと期待する。
 結果として「単なる宗教映画」として観てほしくない、と。ヨーロッパで作られた法王映画となればステレオタイプ的な物がある。そのつもりで来館された方々は反対に期待値が外れている筈だ。

 政治映画の要素が多分にある。
 アルゼンチン1976年から1983年、軍事政権が中心となって弾圧した時期を「汚い戦争」と呼ぶ。この間に3万人以上の人々が死亡、行方不明になっている。映画の中でも政府上層部が生きている人間と死んだ人間は把握出来るが行方不明者はカウントしない発言するほど暗黒だ。
 映画もこの希望が見えない時期の法王の姿が多く描写される。政教分離と言われるのは世界共通の筈だ。周辺国が軍事政権下の弾圧時にカトリック教会が立ち向かったのに対し、アルゼンチンでは事を荒立てることを良しとせず軍事政権を支持し非難を受ける。教会の大勢が軍事側についた中で後の法王となられるホルヘ神父はぶれず、迎合せずひたすら民衆を守り助けていく。

 神父であろうと軍に拷問、虐殺されていくギリギリの立場で軍との交渉をしていく神父。「(神父)あなたにも上司がお有りでしょう。行動は上司の意向に依るのではありませんか。あなたにとって一番Topの上司は法王様ですか。」に対して「人として善なるものに従います。」と迷わず答えるシーンがホルヘ神父をよく映している。

 祈りを形に変え、一人、また、一人と無常な中で救済を続ける姿が後の法王へと繋がっていく過程は本当に自然だ。繰り返し念を押すが決して宗教的ではなく「人」としてのお姿だ、それが今回はカトリックだったという展開。
 おぼろげにアルゼンチンでの多くの不明者のことは知っていたがこれほどにも残虐だとは想像を超えていた。国を問わず独裁政治の悲劇。

 この部屋は以前修道会に泊めていただいた部屋に似ていた。装飾品は一切無く必要最低限の調度品があるだけ。それでも、精神が満たされた世界では十分。世の中、数が増えると同時に残念を含む多様性も生まれる。でも、宗教の基本は清貧だ。
 神学校から司祭、法王となられたのではなく大学で化学を学んでいらした。
 20歳で神父になる決心をされイエズス会入会、35歳、異例の若さでアルゼンチン管区長となられるが、この時期が映画で多くを割かれた軍独裁政治時代。その後大司教、枢機卿を経て法王になられる。南北アメリカから初めての法王が出られることになった。
 善き人の物語としてご覧ください。
★★★★

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