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バトル前の気持ちを吐き出すついでに、しんどい誰かに届いたらいいなと思う

くれと家族

元気なオタクくれ、の中の人はご存じの方も多いと思うが毒親育ちで、アダルトチルドレンである。
大人になってようやっと認めることができた。
かといって家族のすべてが悪いとかではなく父以外はごくごく普通もしくはある意味では理想的な家族である。父以外は。
姉と母は大好きだ。くれの根本的な楽観主義はこの人たちに形づけられたと言っても過言じゃない。
特にマイマザーチハルはよくもまぁあの環境下で病まずに娘三人を育て切ったなとは今でも思う。
冗談でもなんでもなくくれを「あなたはプリンセス」と言い聞かせて育ててくれた。
今となっては調子に乗りすぎないように父があんな感じだったのかもとは思う。
チハルが私を産んだ歳はとうに超えたが、いまだにあのメンタリティには頭が上がらない。

父とくれ

父は最初からアルコール依存症だったのではなく、歳をとってからそうなった。年齢的な衰えと、脳障害と、精神的なものが重なり酒に逃げたのだと思う。
病気する前は実家は父の天下だったそう。稼ぎもよく車もあり姉たちは習いたい稽古事はなんでもやらせてもらっていたそうだ。母も姉も小遣いを十分すぎるほどにもらっていた、らしい。
私にとっての父は今となっては非の打ちどころのない純粋悪だが、母と姉にとっては過去確かに、形はどうであれ大切にされていた記憶があるということもやっと認められるようになった。

物心ついたころには父は家にいて、母と姉が働きに出ていた。
くも膜下出血になってから脳に障害が残り働けなくなってしまった。
とはいえ当時は酒を嗜む程度に飲みながらとはいえ、家のことは問題なく出来ていたし今ほど荒れてはいなかった。

父は脳出血や心筋梗塞になるたびに明らかに精神的に壊れていった。
働いては倒れ、またすこし働いては倒れた。
手こそ出さないまでもだんだんとくれを性的な目で見るようになったり。
今振り返ると当時のあれはそうゆうことだったのか、と思う。
とはいえ根本の性格が楽観主義かつ生き汚いのでとっととこの家出るか!となりサクサク仕事を見つけてサクサク一人暮らしをはじめた。
18歳、手取り14万。限界安アパートで虫は出るし生活はキツかったがそれよりなにより父から離れられたことが嬉しかった。

そして今思うこと

そんなこんなで父の影響は色濃く、10も20も離れた殿方しか愛せなかったり(父性愛を求めてしまっていたのだと思う)
紆余曲折ありまくり今は同世代のピと結婚したのだけれど。
けど父以外は本当に私は運がよかった。
くれは高校に行かず就職を選んだがそれを知った伯父が大激怒し、半ば強制的に高校だけは行けと学費を渡された。就職以外の選択肢が突然降ってわいたので慌てて受験勉強をしたことは今でも思い出す。詰め込みでやったからほんとーーーーーーーーーーーにキツかった。大学も援助しようとしてくれたがあれ以上実家にいたくなかったので丁重にお断りしたが、そのうち通信でもいいから大学に行ってみたいな、というあこがれはあったりする。
限界一人暮らしのときも冷蔵庫に入りきらないほど大量に食材を持ってきてくれていたのでどんなに金がなくても、もりもり飯は食えていたのだ。ありがとうよ。
というわけで私にとっての「お父さん」は伯父なのである。

そして明日、実質上の父と伯父と私で話し合いをする。
暴言も吐かず手もあげず、時折大規模な小競り合いがありつつもいつだってまっすぐに私と向き合ってくれる人と、結婚式を挙げる選択肢が私の人生にこんにちはしたことに対してピには頭があがらない。
なので私は私なりの人生を守る権利と責任がある。

実質上のお父さんへ。
あなたにとって私はいらない子でも、私はあなたに愛されたかったです。
この事実をちゃんと受け止めて、ちゃんと向き合ってきます。

人生は!!!!!!!!ぶつかり稽古!!!!!!!!!!


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