2023/07/28 結局時間をかけた感なのでは???
前書き。
クーラー最高。
本題。
まあタイトルが全てなんですけど。人が評価、あるいは対価を支払うものって結局時間をかけた感があるものなんじゃないかなって。いや分かります。そんな単純じゃないって思うのは。ただ人ってものに時間がかかってるかどうかって言うことに対してすごい敏感な気がするんです。特に絵に対して特に思いを馳せるようなことが普段あまりない人とか。結構それに左右されて絵見てるんじゃないかなって。敏感って言うのはつまり、それによってその分感情等に影響も大きく与えるであろうし、もっと言えば騙されやすいだろうなって。それを技術と呼ぶのも芸術と呼ぶのも可能ではあるよなって。
例えば落書きみたいな絵を持ってきて、実はこの絵100万円なんです、え~!みたいなのって割とステレオタイプとして確立されたイメージだと思うんですけど、その絵に100万円払う人って言うのは結局何見てるかって、その絵が描かれるに至った経緯や歴史を踏まえてその絵を見てると思うんです。それらを無視してその絵を評価できる人っているんですか? もっと言えば飢えを忍んで100万円出せる人っているんですか? と思います。もちろん構図的に優れているとか、そういうの抜きにしても美しいとか語れることはあると思うんですけど、ある意味それらはその絵を稀有にする手段として用いられてる気は否定することは出来ないような、ぶっちゃけちょっと言い訳がましいというか、ある意味美というのは稀有さによって時間かけた感を稼いでるとすら言いたくなるくらい、割と自分にしっくり来てて、あれおもんない結論辿り着いちゃったなって、なってます。誰か救ってくれ。
まあ実際どうなんですかってところは自分が絵を描いて考えていくことにします。ただすごい楽なんだよなこれ、描いててどうすればいいかって言うのが割とパッと思い浮かぶ、なんか正解を引いてしまった気がする、少なくともしばらくこれでいいかなってくらいには。もちろん他の要素はいくらでもあるから今はこれってだけで、また別のことも色々考えていきたいなと思います。保身。
絵は描き続ければうまくなるんじゃなくて、上手い絵が描き続けた結果(時間がかかった絵)なんじゃないかって、そういう意味でしっくりくるんすよね。割ときれいじゃないですか?