【上場企業創業者の本音】ポートフォリオの組み換えができる人材が不足している
高輪ゲートウェイ駅から再開発の喧噪を抜けて、ゆるやかな坂をのぼり泉岳寺を過ぎたあたりで、右手に縄のれんと杉玉が見えてくる。ぼんやりと灯籠のあかりにてらされた幻想的な店構え、店名は「亜晩灯」。
コロナでの営業自粛を経て、場所も品川から泉岳寺に移転。
BARから庶民的な日常の酒肴を出すお店に。
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「いらっしゃい森川さん、泉岳寺の店にも通っていただいてありがとうございます」
「モギー、江戸時代にタイムスリップしたいときは、この店だよ」
「山本周五郎の描いた江戸の庶民の食事も、現代ではごちそうですよ」
森川さんは「経営情報の大衆化」をミッションにしているアバントという企業グループの社長さん。走ることと経営すること、数値データを活用して改善をするという活動が大好きです。
ーー塩引と菜っ葉の汁だけですけれど、どうか召し上がってください。
森川:おっ、周五郎の『あだこ』(1※)だね。フランク・キャプラ(2※)的な気分のいい短編だよね。
ーーいわしの美味しい季節なので、七輪で炙ったいわしの塩焼きと、江戸時代は「アブラナ」と言っていたのかな、菜の花のおひたしです。
森川:さすが分かっているね。
ーー前回、森川さんが来てくれたときに話した日本酒とクラフトビールのポートフォリオの話、よく考えてみたんですよ。
森川:そうなんだ。日本酒とクラフトビールをポートフォリオと言うかどうかは別にして、「事業」単位で、キャッシュを稼ぐもの、成長する可能性のあるものといった塩梅に分散しておくことが、事業の継続性や自立性を強化する面があるというようなことを話したよね。
ーーそうそう。僕もながくこの店を続けていきたいから、その「ポートフォリオ」について、もっと知りたかったんですよ。
森川:いいね。江戸の昔を思わせる居酒屋で「ポートフォリオ」について語る夕べ。どんなことが知りたいの?
ーー「志」の話があったじゃないですか。事業会社は「志」ありきなんだけど、お金がついてこない志はだめでつまり、パーパスと経済合理性の両方が大事だって教えてくれましたよね。
「志」だけではなく、ポートフォリオをどうやって経済的にも意味のあるものにしていくか。僕も調べてみたんですが、これに成功している会社ってなかなか見つからないんですよね。
森川:それは言えているかもしれないね。例えば、世界的に成功しているある食品企業があるんだけど、実はその会社の業績のけん引役として一番成長している事業は、食品分野以外の半導体関連事業だったりする。利益率も圧倒的なんだ。
一見すると食品とはまったく関係がないように思えるかもしれないんだけど、その事業のもとになっているのは食品メーカーとして培ってきた研究開発力がベースになっているんだよ。アミノ酸の研究の過程で作られる物質が、他にも転用できることがわかり、そこから発展して生まれた事業なんだよ。
それをどう捉えるかだよね。パーパスと連携させなければいけないと考えると、大きな利益を稼ぐ可能性のある事業を手放すことになる。パーパスを投資方針として考えると、半導体関連には投資しないで、「食と健康」に投資していくっていう話になるかもしれない。
ただ、それが良いのかどうか、未来のことは誰にもわからないし、事業のタネを売却したほうがいいのかどうかという問題を判断するのは難しいところもあるんだよ。どのような抽象度でパーパスを設定するのがいいのか、これは経営者の永遠の課題かもしれないね。
ーー実はうちの店も、店のロゴをつけたTシャツを売ろうかどうか迷ってるんですよ。試しにお客さんに見せたら5,000円ぐらいで買いたいって言われちゃって。僕にはTシャツのデザインの才能があるのかもしれません。
森川:企業経営は、基本的に成長は「是」と考えればいいんだし、需要があって伸びる商品や市場に企業の人材や資金を重点的に投資していくという話は、間違いじゃないよね。ただ、お客さんや働いている人たちにとってそれは良いことなのか、それを理解してもらうことが良いことかっていうのは別の話でもあるんだよ。
例えば、辣腕経営者として知られている永守さんの日本電産のM&Aの大方針は「回るものか動くもの」と規定されている。
ーー「回るものか動くもの」ですか。そんな大雑把な方針で大丈夫なんですか?
森川:買収した効果が見えるまでに時間が掛かったところもあるので、当時は「なんでこんな会社を買うの?」と言われていたが、結果的には買収したすべての会社を黒字にしている。だから「志」と「企業の成長」をどう統合して、判断していけばいいかは悩ましいところがあるんだよ。池波正太郎がかつて、こんなことを言っていたのを思い出したよ。
「ちかごろの日本は、何事にも、「白」でなければ、「黒」である。その中間の色合が、まったく消えてしまった。その色合こそ、「融通」というものである。」『男のリズム』より
ーー「融通」ですか。深いですね。実は、大企業にもいろいろ悩みがあるんですね。僕もTシャツのこと、よく考えなくちゃ。でもね、ふと思うんですが、事業をいくつか持って、ポートフォリオができたとする。
もし居酒屋の飲食事業が青息吐息で、Tシャツ屋になろうとしたときに、居酒屋で働いてきた仲間をクビにするのか、一生懸命頑張ってくれているから、同じ人材で学びながらTシャツ屋をやるのかという意思決定はすごく難しい気がするんですが。
森川:会社の持続性を追求すると、ポートフォリオ化は必須なんだよ。でもね、会社の「あり方」を考えたときに、安易に真似したくないなって思う要素もそこにあるんだ。ポートフォリオという考え方は、事業をレゴブロックのように分解して売却することが前提になっているじゃない。でも「ダメなら売ればいい」と安易に考えることも事業にとっては良くないと思っているんだよね。
「もっともパーソナルなものが最もクリエイティブだ」ってマーティン・スコセッシが言ったけど、会社が顧客のためにクリエイティブでいるためには、できるだけ自立しているほうがいい。どこかの傘下に入っていると、顧客と関係のない部分に気を使って、顧客だけに集中できなくなるわけじゃないですか。
でも顧客のために価値を創造していくためには、「自分たちのやりたいこと」があって、そこに向けていろいろな工夫を重ねていく環境がすごく大事。その自立を維持していくために、ポートフォリオがあり、常に事業を新しくしていくためのタネがなければいけないよね。新しいチャレンジをしていくためにも、必ずポートフォリオ化していくんですよ。
ーーそれは居酒屋の店主である僕が、顧客のために考えるということが必要で、それが出来るためには自立すること、つまり、Tシャツと居酒屋の両方やったほうがいいということですね?
森川:なんか、前回と同じような会話になってるな。
ーー前回はクラフトビール、今回はTシャツです。
森川:1店舗の居酒屋でも、大企業でも、「志」とか「パーパス」という、大きい方向性があった上で、パーパスを成果に繋げていくためには、より精度の高いポートフォリオの組み換えができる人材が必要となる状況になってきていると思う。日本人が得意な単品経営から見ると、難易度はぐっと上がっていくのかなって気がする。
これを投資家側、機関投資家やベンチャーキャピタルの人たちがやるのは難しいと、事業側からは見える。事業側がその力をつけない限りは、未来を作れない感じがするんだけど、経営に携わる人達が「金融は関係ないから」って言うこと自体もナンセンスだと思ってる。
事業側の自立っていうんですかね、今の環境下における金融主導型になっちゃっている世の中に対して、もう一回、顧客のことをよく理解している事業側がポートフォリオマネジメントにおいても成果を出せるように力をつけていかなきゃいけない。
ーー僕の場合でいえば「BARの事業はもうお足を洗ったほうがいいな」とか「クラフトビールは第三のビールに負けて縮小するな」とか、投資家の判断基準も知りつつ、事業側として決断するということですね。
森川:そうそう、なかなか今日のモギーは深いね。
ーー「人間の一生で、臨終ほど荘厳なものはない」と三船敏郎も言っていますからね。
森川:『赤ひげ診療譚』(3※)だね。黒澤明の映画を山本周五郎が「原作を上回る傑作」と言ったという。
ーー七輪で炙った塩引きのイワシ、追加しますか?
森川 いや、そろそろ周五郎の好きだった蕎麦で〆るとしようか。
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居酒屋 亜晩灯で梅雨どきのイワシを七輪で炙り、煙にいぶされているのは森川かもしれません。「コーポレート・ガバナンス」と「クリエイティブな経営」はイワシの煙に阻まれ、はるか遠くに霞んでいます。いつか約束の地にたどりつくことを祈って。
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※1:山本周五郎の短編の名作中の名作。人生をあきらめた武士と使用人の女性との交流とハッピーエンドが印象的な短編
※2:『素晴らしき哉、人生!』という映画で、人生をあきらめた男が自分がいなかったら世界がどう変わっていたかを知ることで、自分の人生の意味を知るという、米国でクリスマスの時期に必ず再放送される名作を作った大監督。
※3:『赤ひげ診療譚』は黒澤明監督で『赤ひげ』として映画化された。主演が三船敏郎、若い医師役で加山雄三が出演し、江戸時代の小石川養生所に働く医師を描いた黒澤映画の中でも屈指の名作。
語り手 株式会社アバント 代表取締役社長 グループCEO 森川 徹治
編集協力/コルクラボギルド(文・角野信彦、編集・頼母木俊輔 イラスト・北村侑子)
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