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いま、思うこと。|麻タロウ

麻生太郎氏や安倍晋三氏など、政治家のモノマネで話題を集める麻タロウ(20)。そんな彼がどんな人間なのか、そして彼が表現したいことについて迫っていく。

本記事は2部構成の記事のうちの2部目となります。
前回の記事はこちらからご覧いただけます。


対話の中で見つけたモノ

昨年10月31日、いわゆる大阪都構想住民投票の前日に彼は大阪で選挙投票率の向上を目指したイベント『マツリゴト OSAKA 2020 The Forum』に登壇した。

ジャーナリストの堀潤氏や、NPOや社団法人の理事、個人事業主から学生までいる中での対話のセッションで彼が感じたことがあったと言う。


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あの場は政治に対して無関心だったひと、関心を持っている人が入り混じって対話していたんですよね。決して知識人だけの会話だけじゃなく、とても自然に話せました。

その中で「分断」「大きな主語を使わない」という堀さんの言葉・考え方に出会えてハッとした自分がいました。そういう言葉を使う時って自分が不安なときや、自分を強く見せたいときだなって。

あと、逆に政治からすごく遠く離れてしまっている人たちがいるんだなということも知りました。政治家のモノマネをしているとおもしろがっていろんな人が声をかけてくれるんですけど、先日もクラシック音楽家の方々がオンライントークをしている中に入らせてもらったんですよね。

そうすると最初は「麻生さんだ〜モノマネやってください!」と始まっていくんですけど、その後に「僕らってこのコロナ禍で大変なんですけど、これは仕方ないことなんですかね?どうしたらいいんですかね?」と相談されたんです。

その時にびっくりして、というのもクラシック音楽家の人たちやそれに関わる人たちって高貴なイメージがあったから正直、コロナで世の中が不景気になったとて困っているとは思わなかったんですよね。

でも、よくよく調べてみると海外ではアーティスト支援の流れがあったり、その人たちが訴えかけていくことで変わっていくことがきっとあると思ったので「周りの人たちを巻き込んで声をあげませんか?」と話していました。

直接、国会議員に訴えかけるのではなく、盛り上がりから国会議員を動かせる時代にもなりました。だからこそ苦しいことがあれば対話をして声にしていくことが大事なんじゃないかなと思います。

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いま、政治に思うこと

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よく、「若者は政治に関心がない」と言われていますが確かに社会人と比べれば政治との接点が少ないよなと思います。大人になって働いて税金を納めて、株を始めて経済を学び始めたら政治が身近に感じるようになるのはある種、当たり前で。

麻生さんが高校生向けに政治について話している講演会があったんですが、そこでも「若者は政治との接点がない。関心がないのは当たり前だ」とおっしゃっていてすごく納得できました。

でも、ふと思ったんです。いま陥っているシルバー民主主義の状態は、若者のせいなのかなって?

もちろん、そこには時代の流れがあって、おじいさん・おばあさん世代の人たちからすると投票できることのありがたさを感じているからこそ、投票に行くのが当たり前になっています。

でも、投票だけが政治だと言う訳でもなくて、それは例えば先日の森さんの発言についてSNSで多くの声があがり、結果として辞任となったことだったり、検察庁法についても審議が白紙になったりと現代の政治の参画方法が生まれてきました。

いままでの政治参加の物差しで測れば、若者は政治に対して無関心かもしれない。でも、見方を変えれば昔の学生運動が、いまを生きる若者にとってはリツイートする(拡散する)ことに変わっていってるのかなと感じます。

僕の知人たちで投票に行かない派の人の理由として、「よくわからないのに投票するのが怖い」「投票するのにも入れたいところがない」というのを意見として聞くことがあります。投票はよくわからないけど、SNSなら少しわかるから、そこでできることをしているんだなと。


そして、先程の森さんの件でもそうですが、今や一回のミスが命取りになる時代になってきました。発言が不適切だとか、浮気をしたとか、薬物を使用したとか。その失敗で過去の成功は全部なしになるからこそ束縛され、生きづらさを感じる場面が増えたようにも思いますし、国会でも何かを生み出すよりも相手を蹴落とせば勝てるという構図になっています。

政治をプロレスに例えるなら、リング上で戦うよりも試合前に「そのドリンクはドーピングじゃないか」と囃し立てて不戦勝に追い込むみたいなことが起きています。僕は戦って欲しいなと強く思います

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これからの麻タロウが目指すモノ

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声を届けたくても届いてないことってたくさんあると思います。

若者の声を政治家に届けるのもそうだし、当事者の声を周りがうまく読み取れないというのもあって。

僕の友達に重い病気になったひとがいて、そのひとと話をする中で気を使ってくれる家族や仲間の存在を知ると同時に、病状やそのひとが抱えている不安、嬉しさ、振る舞って欲しいことなど、いろんな感じていることを聞いたときに「その声を必要としている人がいるし、それがきっと大きな力になるよ」という話をしたことがあって。

ご家族ですら「本人は辛いだろう、けど何をしてあげたらいいんだろう」とわからないことがあったり、本人も「周りが気を遣ってくれているのが痛いほどわかるけど、誰に何を打ち明けたらいいんだろう」といったことが起きていたんです。

でも、きっと日本の中だけでもその時に同じ状況の人たちがいて、だからそこで声にしてみること、発信してみることで救われるひとがいるんじゃないかなと思うんです。

そんなことを知った僕もそのひとにこのことを多くの人に知って欲しいから伝えてもいいかな?って話したら快く受け入れてくれて。だからこそ、そうした場をつくっていきたいと考えています。

自分が今までやってきたことは一方通行のコンテンツだった。でも、やっぱり対話の場を僕は作っていきたいなと思います。

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アヴァンギャルド
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