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デザ屋さんからカメラマンへの話。

皆さまこんにちわ。いつもお読みいただき感謝します。
さて、今回はひょんな事でデザイン原稿に使う写真を撮る仕事で海外へ出掛けたお話です。

 それまで海外には良く行っていた方だったのですが、写真撮りがメインだったので、そこまで気負いせず半分旅行気分で行った訳です。
まだこの時は写真のプロでもなくて、ただ、デザイン屋の立場で必要な分だけを撮るという目的でした。

同行クルーの中に別現場の撮影部隊が居て、そこに本物のプロカメラマンのN氏が居た。そして飛行機の中で色々な会話をしてたのだけど、話が合ってしまい、帰国してから一度遊びに行きますねという事で話がまとまり、淡々と仕事をこなしていた。そして帰国後、画像チェックでデータを編集者側に預け、戻してもらった時にデータが足りない。その事にはあまり気にしていなかったがその後、出来上がってきた本を見て愕然。私の撮った写真がN氏の名前で掲載されてる、、これダメなやつじゃん、、でもまぁ、他に撮った写真はちゃんと掲載されてたので気にしていなかった。

その後、N氏の事務所に遊びに行ったのだけど、何かよそよそしい態度で不信感が湧いた。でも、まぁ、目くじら立てていても何も生まれないし、気にしないようにしていた。

 当時アナログからデジタルの波が押し寄せて来ていた時期で写真のデジタル現像が進んできたような状態だったので、古い時代のN氏は苦労していたみたいで、自分では処理の方法を覚えられないという致命傷。
私はデザイン関連や画像処理は死ぬほど独学で勉強していたのでお茶の子サイサイ。それからは何か困った事があれば夜中でも関係なく電話攻撃が始まった。

段々と鬱陶しく思っていた時に呼び出された際に次からギャランティ出して下さいと話したところ烈火の如く怒りだしたけれど、そこはこちらも会社の代表してたので対等な立場と言うことで金は出せないけど、写真教えると言う不平等契約(笑 結果、一度も教えてもらった記憶がない。

このN氏は当時、結構有名なカメラマンだったみたいで、写真集も出していて個展もやっていた。そんなN氏に連れられてスタジオ撮影に入った時、弟子ですと紹介、、いやいや、、周りの人、困ってるがな(笑 何せ、この時、私49歳。49歳で弟子入りって、、アンタ、、まぁ、周りは苦笑いしかできません。だって関係者の何人かは私も知ってる人ですよあなた、、
そんな中の一人が耳元で「苦労しまんなぁ」乾いた笑いしか出ません。

でもまぁ、気にしないように今度は撮影のことについて急激に興味を覚え、毎日いろんな事を試した。それこそ寝る時もカメラを抱えて寝る状態でした。
そして、撮った写真が月刊誌に掲載された事がきっかけでプロデビューになった。それからはどんなジャンルでも関係なく狂ったように撮りまくり、いつの間にやらストックカメラマンになっていた。写真を素材として売ってる人ね。

写真撮ってて、早い時期に写真業界は終わるんじゃないかと感じていた部分もあって、早い時期にムービー素材も合わせて売りに出した。ある映像PVをサンプルで作り、ヨーロッパ圏のSNSに出していた時期があり、それが功を奏したのか、ある日突然何やら訳のわからない英語のメールが届いた。
どうせスパムだと思い込んでいた私は開封すらせず放置していてある日、気になって開いてみた。UAEのデザインコンペの招待状だった。東南アジア圏で私、、嘘でしょ?でweb上で急いで調べてみたら有りました。手が震えました。

日本だと幕張やインテックスでやってる国際見本市のようなもので、中のブースを与えられて展示するスタイルだったのですが、襖よりもデカいパネルを100枚くらい持ち込まなければいけなくて、日本から空輸するだけで想像を超える費用がかかることが判明し、泣く泣く出展を取りやめた訳です。
これきっかけで色んなオファーが何故だか来るようになり、最先端の知識を得ることになったのでした。

ある時、世界の超一流ホテルのプロモーションムービー制作のオファーが有って、撮影マニュアルが送られて来た事があります。凄いページ数で翻訳するのに時間がかかりましたが内容が恐ろしい(笑
撮影指定というのが有って、ここは何ミリのレンズでこの地点から何度の角度で何度までキャメラを何秒間振る、、このシーンは朝の何時から何時までとか、全てのカットに注文がびっしりと記入されていて、まぁ、恐ろしい。完全に映画撮影です。こりゃスタッフは軽く20人必要だわ、、はい、お断り。バジェットデカいけど、一つでもダメ出し食らえば大赤字、、

また北米でのある自動車メーカーの撮影オファーも有ったな。
これは卒倒しました。総スタッフ40名以上でカット毎のロケ地移動、その移動にはヘリやジェット機でスタッフの食事のキッチンバス、、書いたらキリがありません。規模が違う。で、挑戦しようと思って真剣に見積もり出したら、、死ぬほど大赤字(笑 こりゃ本当の代理店案件だな、、はい、お断り。

こんなオファーがどんどこ来ていた時期に、、倒れました。

考えたら体力に甘えて健康のことなんて全く考えずに走り抜けてきたツケが回って来ました。脳出血それも4箇所。死ななかっただけマシだった。目も左4分の1がブラックアウトで血栓で詰まって見えなくなっていて手術も無理な場所でこれから付き合っていくしかないと。

この時、はっきりと何かに守られていると感じたのです。
この件も含めてまた違う章で書きたいと思います。

そんな中、ずっとストックで出していた素材が割と売れてきて、結構気ままに生きています。貯金みたいなものだからあと100倍くらい出しときゃよかった(笑

こんな感じで突っ走ってきて最後に倒れるというオチがついた訳なんですが、まぁ、のんびりとしている中、また、沸々と作品作りたい!という創作意欲と本当にやりたい夢が以前よりも強くなって来ているのも事実です。

今回は愚痴半分な文章でしたが、ご容赦くださいませ。
誰にも言わず、ずっと心の中に有ったもので吐き出したかったのかもしれません。

叶えたい夢のお話もそのうち書きたいと思います。
読んで下さりありがとうございます。

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