胸の谷間にムギュッと!
皆さまいつもお読み下さりありがとうございます。
さて、誰もが、優しく諭されると言うことをご経験されていると思いますが、私の場合は小学生の頃でした。
それは美術の先生で、何故か「そよ風」のような存在の人でした。
授業中に少し騒いでいる口も止まってしまうという、されるがままのマリオネットでした。
優しく、そして静かに、本当に静かに私だけに聞こえるような言葉で「こうしなさいね」という言葉のメッセージ、そして「お願いね。」という言葉。
何故だかいつも必ず私に静かにふわっと包み込むように後ろから頭を抱えられてむぎゅっと胸に抱えられ、おでこを細く、しっとりとした指で押さえ、「はい、静かにしようね。」その細い小さなさな声だけど私も、全員が黙る。誰も文句を言わず、シーンと聞く姿勢に戻るという不思議な先生でした。 あえて言うなら強制再起動させられる感じ、、ちょっと違うか、、
まぁ、後ろから頭を抱えられると、全員が注目する訳で、顔が赤くなるのが分かるので、いつもその時は目を閉じていた。
私の頭はその柔らかい山の谷間に心地よい枕に寝たような気持ちになって全ての幸福感を集中するような感覚に陥らせる後頭部だけのムギュッと感でした。もちろん当時はガキンちょなので大人のいやらしさは有りません。
まぁ、女子たちの視線の痛かった事忘れません(笑
絵を上手く描けるわけでもなく、太い2Bの鉛筆を削る事15分で、鉛筆を半分にするという子供だったわけです。
粘土をこねくり回しても形になるわけでもなく、ただの崩れたおにぎりを量産し、校外で写生に出かけても花よりバッタの方が気になるという、ごくごく普通の子供でした。
いくら思い出そうとしても名前が出てこない、優しい美術の先生だった。
そして、顔を思い出そうとしても全く思い出せないのでした。
考えてみるといつも後ろからくるので、私は前しか見えない訳で、直接正面から見つめる事はなかった訳です。
でも、怒ると絶対怖いだろうなとゾクっとするような先生でした。
いつしか、好きな女性のイメージになった感もある。
それは、小さく細い声だけど何故か心地良い声が亡くなった母にそっくりだった記憶がシンクロするのです。
当時、唯一、安心が出来たのが美術の時間でした。
そしてその授業が終わるとまた、嫌な家に帰るのかといつも思っていました。 この当時は将来の事とかは全く考えていない訳ですが、後々、何故か美術やアートのことに惹かれて行くのでした。 何かしらの影響を受けたのかも知れません。 自分では創作出来ないけれど、何か役割が無いのかなと、何かある度に考えるようになりました。
芸術やアートの世界の何処かに、何か必ず私の役割があると信じて生きてます。
役にも立たないお話をお読みいただき、ありがとうございました。
また、くっだらないお話を思い出したら書きたいと思います。