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子供の頃の趣味の話。

皆さまこんにちわ。いつもお読み下さり感謝します。
今回は子供の頃の唯一の趣味のお話です。

 私は子供の頃の友達がドライバーでした。
とにかく何でも分解してまた元通りに組み立てるというのが楽しくて仕方なかったのです。 時計でもラジオでも何でも中を見たくてしょうがない。
そして色々なものを分解していると、バネやゼンマイのようなものが出てくるのですが、慎重に外しても必ずビョーンと弾けてどこかに飛んでいくのでした。しかも、探しても探しても出てこない。見つけた!と思って組み立てようとするとまた、ビヨーン!と飛んでいくのです。

この繰り返しによって、ここはこれ以上ネジを緩めると飛んでいく!と覚えたのです。あの、バネが飛んで行き、探しても出て来ないことが不思議で、ワザと飛ばしてみると、ビョーンと飛んだ後、落下し、そして、弾けて違うところへ飛んで行き、着地するのでした。それからはビョーンの瞬間に予想している方向と違う方向を見るようになり、かなりの確率で目で追いかけて行けるようになるのでした。

そして、家の薬箱の中にピンセットを見つけた時のワクワク感(笑。
これで小さい小さいネジを掴める。まぁ、こんな子供でした。何せ、科学と学習の科学の本がバイブルでしたので、楽しくてしょうがなかった。

家には倉庫が有り、捨てるため置いてある時計やラジオ、カメラや家電が置いてあり、その当時の私にとってパラダイスだったのです。とにかくプラスのネジがあるとドライバーを突っ込んで回したくて仕方がないという変態的な子供でもありました。

中学に上がる頃におじさんのやってる土建屋に行くのが楽しくて仕方なかった。 ダンプやブルドーザにユンボにと、あらゆる建設機械の山盛りパラダイス(笑 夏のバイトに叔父さんとこへ行くと「ホイ!」と、ブルとユンボと台車の鍵を渡されて「今日は学校の運動場の圃場整備な」と言われるのです。そして自分でブルを台車に乗せて運動場まで走って行き、勝手に夕方までせっせと運動場を平らに削るという何よりも面白いアトラクション。勿論免許は持っていません。そんな大らかな時代だっということで勘弁して下さい。

ユンボ(パワーショベル)を動かすのは特に興奮してました。こんな楽しいものがあるのかーと。操作の未熟さで何回ダンプを倒したことか(笑。
それをユンボで起こして又、倒すの繰り返しで、中学生の時にパワーショベルをマスターしてました!(笑

最終的には時代の波に飲まれて倒産してしまいましたが、いい思い出です。
もし、10年違っていたら私も土建屋になっていたかも知れません。
あの、夏の暑い日にいつも氷が山ほど入ったやかんの麦茶の味は忘れられません。

 当時の実家の本棚にはズラーっと百科事典が並んでいて、、あと、いかにも難しそうな本が有り、政治が何ちゃらみたいな本が並んで、あとはヤクザ自著伝や何とか○○組とか、実録何とかみたいな本が山積みでした。百科事典を捲って見ても、何も興味が湧かず、どちらかと言えば○○組実録なんちゃらの方が結構面白くて、この時にどうしても分からない漢字を漢和辞典を使う事を学ぶのでした(笑。
まぁ、大人が読む本には漢字が多い。今思えば当たり前のことだと判断できるのですが、子供の時には理解出来ないくらい難しいものだった。

そして、飯食ってる時に○○組とかの質問を始める可愛い少年だったのですが、次の日に本棚からそれら関連の本がごっそりなくなっていて、グリム童話全集に変わってしまうのでした。まぁ、グリム童話の面白くないこと。
それ以来、家族間で○○組の会話は一切御法度になったというのは悲しい出来事(笑。 折角の会話コミュニケーションが消えた瞬間でした。

後々分かったのですが、親父はこの当時、ある大物政治家の議員秘書をやっていたみたいで、あぁ、それであまり家に居なかったのかと点と点が一つ繋がりました。
また、何かの用事で都心へ車に乗せられ、向かっている時に、あの黒塗りで拡声器で怒鳴っているバスが道を塞いでいる時にクラクション鳴らしまくり、「邪魔や!どかんかい!」と窓から顔出した途端に、「あ、ご苦労様です!」と拡声器で挨拶された。。
この時はマジで親父は右翼かヤクザじゃないかと思っていた。
そして毎年、正月になると尋常じゃない枚数の年賀状が届いていたのもまた、点と点が一つ繋がりました。

色々と頭の中で繋げていくと、金持ちなのか、貧乏なのか分からないということに繋がったのでした。議員が失職すると、当然無職になるのです。
多分、イライラして当たり散らかされていたのはその時期です。
そして母が出て行った日に繋がるのでした。

今回も他愛のないお話をお読み下さり、ありがとうございました。

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