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加藤ソロの世界ーalmondの私たちー後夜祭

本ブログは7年ほどシゲ担という生き物として幸せを吸っている私が、
JAPANEWSというアルバムに収録されている加藤シゲアキソロ曲『almond』について約3ヶ月苦しみ、踠きながら解釈したものです。
あくまでalmondの1解釈として楽しんでいただけたら幸いです。
なお、almondの解釈ブログは下記のように3部構成になっております。

  1. 前夜祭
    解釈するに至る経緯について、almondに関する予備知識

  2. 本編
    almondの歌詞をメインとした解釈

  3. 後夜祭(今回はここ)
    ツアーJAPANEWSのalmondの演出について


※almondの演出考察の内容のみご覧になりたい方は目次より「almondの演出について」まで飛ばしてください。


NEWSLIVETOUR2024 JAPANEWS

いやーーーーー!!!!
すごい楽しかった!!!!
※前夜祭ブログであれだけアーモンドもぐもぐしながら悶々としていたのが嘘のよう

やっぱりね、好きな推しっていうのはかけがえのないものですわ、うん。
みんな大切にしていこうな、推しを。

私は色々なご縁もあり、計4公演ほど参加させていただきました。
急遽千葉公演の制作開放席で追いNEWSを浴びまして、心も体もほっかほかになりながら書いています。

どうしても自担贔屓になってしまうのですが、加藤シゲアキをひたひたに摂取したので語らせてほしい。

前半トロッコからのDistanceの加藤シゲアキ、メロすぎる!!
なんであんなに愛しそうな表情してオタクのこと見つめてるんだ、、好きになっちゃうだろ(もうそこは底知れぬ沼)。

おもちだよ、もちもち加藤シゲアキ、、かわいい。。

かと思えば、スタンドから見たSweet Martiniはダンサーさながらの美しい色気。

後半トロッコのちむにゅでニコニコしながらスタンド席の自分と目が合った(とされる)加藤シゲアキ。
静岡酷暑できつかったろうに汗も輝くニッコニコで、プロアイドルすぎた。
自発光してた。いのちのかがやき、まもりたいいのち。

近くでも遠くでも命削れるぞ!?ってぐらい全力のフルスイング。
本当に限界に挑戦してて、まじかっこよかった。

挨拶では、労働コールが彼の恒例になっていますが、根本にあるのが「みんなで幸せになろう」という考えなのが実に彼らしいなと。

その上で「お前らが大好きだ!!」はオタク死んじゃうからね!?
※千葉2日目、実際に崩れ落ちて号泣したオタクこと私

ステージで全力で生きる人って、こんなに人の心を震わせるんだなって。
改めて強く思ったライブでした。
何も変わらず、逆に歌声やダンスも進化している、私は彼の生き様に強く惹かれているのかもしれません。
またステージに立つ貴方の未来を想像して、明日からも頑張ろうと思います。

almondの演出について

さて、almondの演出について語っていこうと思います。
演出についてセットと照明、衣装、ダンスの3項目に分けてお話していきます。

セットと照明

まず本ツアーに入られていない方もいらっしゃるかもしれないため、大前提ですが、JAPANEWSのセットは以下のような構成になっています。

  • メインステージ

    • ステージ上部には四角のモニターが散りばめられている(割れたガラスのようなバラバラな配置)

    • 曲によってはステージ上にも可動式の画面が出現

    • メインステージの手前に文字を写す用の黒い半透明の幕(以下、黒幕)がカーテンのようにかかるようになっている
      ※演出上はJAPANEWSとalmondのときのみ使用

  • 円型センターステージ

    • メインステージから伸びる階段下、花道の先にある

    • 「末広がり」を意識したと思われる3分割の可動式

almondの演出上ででひとつ注目したいのは、黒幕の存在です。
日本がコンセプトとなっているJAPANEWSの中での黒幕というのは、歌舞伎の黒幕(または定常幕)をオマージュしたものだと考えます。
黒幕は場面の転換や夜の場面を表すのに用いられるます。
ちなみに歌舞伎幕は下手から上手に徐々に開く構造になっており、本公演でも同様の向きに開閉されていました。
その黒幕を用いてネオンのように歌詞を投影するので、一見すると日本の要素入ってないじゃんと思うのですが、しっかり形として入っているのですね。。素晴らしい。。

また、照明は黒幕で表す夜の雰囲気に馴染む青(紫)がベースになっていました。

Agitatoや人情心中は生き血のような赤を基調としていましたが、我々は加藤シゲアキと心中(概念)を経て、暗く寒い死の匂いが漂う空間に来てしまったようです。

白いスポットライトが加藤シゲアキに向かって当たっています。
このコントラストが神々しい、神聖な存在であることを視覚的にわかりやすくしているのですね。
ここでは「光る背中」は彼自身の背中をうつしており、歌詞上の解釈とは反転する部分があります。

ちなみに下手、上手側から見るalmondはかなり印象が違うものになると思われます。

下手には前述の黒幕がかかっており全体的に暗い印象。ただ、スポットライトに照らされる彼の「虚像」が見えるのがなんともお色気。
上手はスポットライトがモロに当たるステージを見ることになるため、明るい印象を持ちやすいのではないかと思います。

衣装について

皆さん、お待たせしました。
一緒に叫びましょうね。

黒レースに素肌はあかんて!!!!背中ガン開きのエロス!!!
オタクを狂わせに来てるじゃん!!!!あーーー!!!!
しかもグラスコード!!!
変態先生!!

・・・すっっきりしました。ありがとうございます。

衣装はオタクの性癖をぶっ壊すような刺激の強いヤツでしたね。

一応衣装についてもまとめておきます。

  • 丸型(金属縁)のメガネ

  • パールのグラスコード

  • 白いシャツ(シャツIN)

    • 背中と左肩の一部が黒いレースになっており、素肌が露出

  • 首元に淡いピンクがかったスカーフ

  • ベージュからカーキの間ぐらいのパンツ

  • 黒い靴(革?)

もしかしたら背中以外の印象が薄い人もいるかも知れない。。笑

今回1番特徴的だったのはいうまでもなく、黒レース素肌の背中ですね。
オタクは変態なので、露出している背中自体をまじまじと見てしまいがちですが(かくして私もそう)、この背中、実は"アーモンド"かもしれません。

・・・は?
何を言ってるんだこいつ。。

黒いレース+シゲの肌=まだらなこげ茶色、になりませんか。
実は衣装と己の体を用いてalmondの木の肌を表現しているのではないでしょうか。

つまり、黒レースの部分はすでにアーモンドに侵食されているのです。

もう少し掘り下げると侵食されている部分が背中であるということも重要なのではないかと思います。
背中というのは人間の身体的に機能重要な部分である背骨が通っています。背中を押す、師匠の背中に学ぶ、といったように、背中というものが持つ意味は強い己の意思や、自身の行動を司る原動力といった意味合いがあると考えています。

アーモンドの私たちは、彼の生きる要である背中を静かに染めているのです。

パンツの色も相まって、アーモンドの精霊のようなイメージの衣装だと思いました。

ダンス

ダンスについて私自身知見があまりないのですが、今回のアーモンドはコンテンポラリーダンスに近い印象で、少し女性的な印象を受けました。(それは衣装も然り)
歴代のソロだと氷温のイメージに近いと思います。

バックダンサーの皆さんとのダンスは、アーモンドの精霊の舞のようでとても神秘的でした。

私が注目したいのは、曲後の加藤シゲアキ本人のポーズです。
下手側に背を向けてその左にスタンドマイクがあるようなポジションどりなのですが、まるで左右対称に人がいるかのようなポーズだったように思いました。

彼の反対側に立っている人はおらず、「黒幕」だけが垂れ下がっています。
よくジャ○ーズでは、パフォーマンス時に何かしらの理由で欠席したメンバーの立ち位置を開けるということがあります。ここにメンバーがいるよっていう意味も込めて。
今回、almondを見たときにその概念が発動していると感じたのです。

概念上そこにいるとされるのはアーモンドの存在です。
つまり、会場にいる「あなた」の存在なのです。

加藤シゲアキ、、貴方って人は、、、
互いに罪深いこの関係性がある種呪いのようで、美しい神話にも感じられます。


黒幕の存在

あ、そうそう。
almondでは黒幕を使用しています。
黒幕は元々歌舞伎の表現で夜の場面を表し、今回のalmondでも同じ意味で使われています。

ただ夜の場面の演出に・・・本当にそうでしょうか?


「黒幕」という言葉の意味もまた、歌舞伎の黒幕から生まれているのです。

黒幕(くろまく)
黒い色の幕。特に、歌舞伎で、場面の変わり目に舞台を隠したり、道具の奥に掛けて背景代わりにしたりする黒木綿の幕。
表面には出ないで、指図をしたり、はかりごとをめぐらしたりする者。「政界の—」

https://dictionary.goo.ne.jp/word/黒幕/

2番目の意味に注目してください。
黒幕は何かを操る存在という意味があります。

曲後最後のポーズの対称にはネオンの文字を映し出していた「黒幕」が佇んでいます。
つまり、黒幕の正体はアーモンドそのものなのです。

アーモンドに侵食されて、操られ、マリオネットのように踊る。
完全に侵食されれば、彼はアーモンドの一部になる。

毒と快楽は表裏一体なのです。
童話『赤い靴』のようなストーリー性を感じ、バックダンサーと彼が履いているズボンも心なしか藪のなかに迷い込んで絡まった蔦のように見えてきます。

ただ、あまり怖がらなくても大丈夫だと思います。
アーモンドの私たちは、それぞれ自分たちの中に加藤シゲアキという存在がいます。それは物理的な彼ではなく、私たち精神の中に加藤シゲアキという独自解釈した存在(以下、キャラクター)という意味です。
去年心中(概念)した我々は、加藤シゲアキと一緒に1度喪失された存在。
そのため、静かな夜のような精神世界でゆっくりと加藤シゲアキというキャラクターを咀嚼しています。
almondの演出ではその咀嚼されている途中のキャラクター加藤シゲアキを本人が体現しているに過ぎないのです。

もうお気づきの方もおられるかもしれません。
歌詞解釈では加藤シゲアキ→アーモンドの私たち、であったのに対し、
公演ではアーモンドの私たち→加藤シゲアキの要素が色濃く、
両者を組み合わせるとアーモンドの私たちと加藤シゲアキが相互作用していることに気づくのです。

だだ、その相互作用は毒々しく、お互いに抜けない毒針のようにも感じられるため、明るい世界観だけで語れるものではありません。

でもそれがシゲシゲしさだよね!!(シゲ担ならわかってくれるはず)

彼と彼のファンが持つ気持ちは本当にクソデカで、重いのです。
でも、片方が重くて片方が軽いよりバランスがよく、それぞれを尊重できている証でもあるのではないかと考えています。

今回のalmondも掘れば掘るほど加藤シゲアキ100%アーモンドミルクがごくごく飲めておいしおかったです。素敵な世界観をありがとう。

さいごに

ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
最初の前夜祭ブログから約2万字、この論文のような長さにお付き合いいただいたこと、感謝しかございません。

almondの解釈、最初はすんなりいくのではないかと思ったのですが、イメージ補完をしながら考察すればするほど想像以上に深かった。
加藤シゲアキという人間の深みをさらに知ることができたような気がします。

ー加藤シゲアキがどうしてアイドルになったのか、そして今も続けているのか。

これが私がシゲ担になった最初の理由であり、命題です。
これが解けない限り、私はずっとシゲ担なんだろうなと思います。
そして、彼の今の価値観や世界観を一番色濃く反映しているのは彼のソロだと思っています。
不純な動機ではあったものの、考察したことで、また一つ命題の答えに近づいた気がします。(多分また遠ざかるけど)

これからも応援したいの気持ちにさせてくれるのはいつも加藤シゲアキの言動や創作からで、ついつい好きの気持ちが溢れてしまいます。

このままずっと話してしまいそうですが、今回はここらへんで。

アーモンドのみんな、加藤シゲアキを愛していこうな。




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